オリジナル小説サイト「渇き」

恋愛小説、純文学、エッセイを扱った小説家・佐倉愛斗オリジナルサイト

007/夫婦

←前のページ 目次 次のページ→ それまでよそよそしくしか接することのできなかった祖母のことを、はじめて愛しいと思ったのは祖父の葬式でのことだった。 祖父の葬式はとても小規模で、区立のセレモニーホールで行われた。参列者は親族を除くと叔父が呼んだ…

006/語らぬこと

←前のページ 目次 次のページ→ 「寡黙」という言葉を知ったとき、父のことだ、と瞬間的に思った。 僕の父はほとんど言葉を発しない。多くて単語三つ。ふだんは「ん」という鼻腔音で返事するだけ。とにかく静かで、僕は「我が家のうさぎより静かだ」と揶揄す…

ひだまりの中で君は手を引く 07

←前のページ 目次 次のページ→ そのギャラリーはナゴヤドームを通り過ぎて少しのところの駅から十分ほど歩いたところだった。 教えられなければここを知ることもないような住宅地の中だけれど、店構えはお洒落なカフェか美容室のようで、古いヨーロッパの民…

ひだまりの中で君は手を引く 06

←前のページ 目次 次のページ→ 「零ちゃん先生、飼い犬でも死んだ?」 皐が椅子の上で膝を抱えている。 勉強する気がさらさらないのか教科書すら置いていないけれど、俺も家庭教師できる気がしない。 会えない日の数だけ離れていくような気がする。 俺の渚へ…

ひだまりの中で君は手を引く 05

←前のページ 目次 次のページ→ 寂しさは募るもので、会えない日々が続くと確実に胸の中に溜まっていく。さらさらと落ちてきて、降り積もって呼吸を浅くさせる。 「零ちゃん先生って好きな人いるの」 今日は脱がされることもなく期末テストの間違い直しをして…

ひだまりの中で君は手を引く 04

←前のページ 目次 次のページ→ 次の週の水曜日。梅雨入りして最初の中休み。俺は家庭教師一日目を迎えた。 華さんに送ってもらった住所を地図アプリに入力すると自宅から徒歩で十分ほどのところの一軒家だった。意外とご近所さんだ。 洋風とも和風とも言えな…

ひだまりの中で君は手を引く 03

←前のページ 目次 次のページ→ 「へー、零くんが家庭教師」 華さんに頼まれて、と話すと、それなら安心だね、と返ってきた。 「零くんなら優しいし面倒見がいいからきっと大丈夫だよ」 渚の励ましが何よりの力だ。 「俺なんかでいいのかな、って思ったけど、…

005/神さまをしんじてた

←前のページ 目次 次のページ→ 神さまという概念を知る前から、僕は神さまを知っていたのかもしれない。 もっとも、僕が通っていた幼稚園は聖書の読み聞かせとクリスマスにページェントと呼ばれるキリストの誕生を演じる劇をするようなところだから、神さま…

004/人間関係の名前

←前のページ 目次 次のページ→ 「親友はいますか?」と面と向かって聞かれたのは、僕が発達障害の検査をしている段階でのことだった。 僕ははっきりと「いない」と答えた。「友達は多いんですけどね」とはにかんで。 友達と親友の何が違うのかは言語化するこ…

ひだまりの中で君は手を引く 02

←前のページ 目次 次のページ→ 「もしもし、零くん?」 五月は渚に似合う季節だ。ゴールデンウィークに初めて舞台の背景画を描かせてもらったのだと渚は嬉しそうに俺に報告した。 俺たちは会えない日は電話をすることにしていた。無料で電話し放題なアプリが…

ひだまりの中で君は手を引く 01

←前のページ 目次 次のページ→ 「渚先輩、就職おめでとうございます」 掲げた四つのグラスが軽やかな音を立て、中で金色のシャンパンが揺れた。俺たちは少しずつ、少しずつ大人になってゆく。 渚の手料理を囲む四人のパーティー。変わらない関係。 俺、相原…

青嵐吹くときに君は微笑む 宝物いっぱい

←前のページ 目次 次のページ→ 「渚、誕生日おめでとう」 8月6日、午前0時ぴったりにこの言葉を聞くようになって2年目になった。 電話の主は、相原零くん。僕の大好きな恋人だ。男同士で付き合っていることはまだまだ隠れざるを得ないご時世だけれど、彼のこ…

青嵐吹くときに君は微笑む チャイニーズガール

←前のページ 目次 次のページ→ 作業の合間のオフ日の昼下がり、僕はウォンさんとノエルさんとでニューヨーク南部にあるチャイナタウンに来ていた。 「Oh! チャイニーズな雰囲気で楽しいわね」 陽気でノリノリのノエルさんと、 「な、懐かしい。でも人多い」…

青嵐吹くときに君は微笑む 幸せな木曜日

←前のページ 目次 次のページ→ 木曜日の夜7時。それは僕にとっての最も楽しみな時間の1つであった。しかしニューヨークに住んでいる今、時間に縛られることなく日本から送られてくる最高画質でBlu-rayに録画されたその番組を観ることができる。でもなんだか6…

003/文学的な現実世界

←前のページ 目次 次のページ→ 今年のはじめ、少しの間だけエッセイというものを書いていた。 あのときは精神的にも不安定で、何かを叫ばずにはいられなかったのだと今は思う。証拠に叫んでいる内容はひどく粗暴で、鋭利で、独りよがりだった。恥ずかしくな…

002/まだ何者でもない僕

←前のページ 目次 次のページ→ 大人って、もっとすごいと思っていた。 僕は二十四歳になった。昔の嫌な言い方をすれば『クリスマスイブ』というやつだ。 まだ世界のことを何も知らなかった頃、僕はきっと二十二歳で大学を卒業して、なんの職かも想像つかない…

青嵐吹くときに君は微笑む 旅立ちのサイダーゼリー

←前のページ 目次 次のページ→ 今日こそ、今日こそ言わなきゃ。 僕はゼラチンと水で伸ばした手作りの梅シロップを煮ている鍋の中身を、焦げ付かないようゆっくりと木べらでかき混ぜながらそう心を固めていた。 カウンターキッチン越しに見えるテレビには先日…

青嵐吹くときに君は微笑む 16(完)

←前のページ 目次 次のページ→ 「それで零、どういうことなの」 こたつを囲んで家族四人で向き合う。何も分からないはずの猫たちすらも何かを察してかリビングを後にした。 「俺は、渚先輩のことを救いたかった。家族もいない。友達も一人しかいない。そんな…

青嵐吹くときに君は微笑む 15

←前のページ 目次 次のページ→ 「お邪魔します」 はいはい、いらっしゃい。といつもより化粧が濃い母が扇田さんと渚先輩を迎える。 冬の日曜日。今日は快晴で雲一つない。白んだ空に白鷲が一羽飛んでいた。 「まあまあ、美人さんじゃないの。零ったらもうっ…

青嵐吹くときに君は微笑む 14

←前のページ 目次 次のページ→ 「で、集まりましたが」 現在、酒本邸のダイニングテーブルは『相原両親に零と渚の関係をどう説明しようか作戦会議』の本部になっている。メンバーは俺と妹、扇田さん、そして渚先輩だ。 先輩は何事だろうと首を傾げつつも手作…

青嵐吹くときに君は微笑む 13

←前のページ 目次 次のページ→ 「なんなの、あれ! もーお兄ちゃんのぽんこつ! なんで言い返せないのさ! バカ! 今すぐここから積もった雪にダイブしろ!」 積雪三センチでそれをすると死にます。 滴は叫びながら大粒の涙を零していた。「渚先輩を救いたい…

001/シュレディンガーの性

←前のページ 目次 次のページ→ 最初のお題が「性別」というのは、いささか出来過ぎかもしれない。僕が選んだのではなくお題サイトの順番通りだ。だからむしろ語り始める最初にお題の作者は「あなたの性別は?」と聞いたのかもしれない。それほどまでに性別と…

死んだ魚

←前のページ 目次 梅雨の合間の、夏の訪れを感じる晴れた日に、僕は両親と弟と一緒に東京の下町にあるお寺に来ていた。寺の庭先で雨水に濡れた紫陽花が日の光にきらきら光って、水たまりに映る青空が東京の喧噪を忘れさせてくれる。 今日は祖父の三回忌だ。 …

青嵐吹くときに君は微笑む 12

←前のページ 目次 次のページ→ 「二回目ですね、ここで寝るの」 「そうだね。びっくりしたよ、急に倒れるんだもん」 「その節は大変ご迷惑おかけしました」 はい、ここでまるで平常心かのように会話をしておりますが、相原零、非常にどぎまぎしております。…

青嵐吹くときに君は微笑む 11

←前のページ 目次 次のページ→ 「へー、コンサートの日に零ちゃんがナギちゃんをナンパねー。やるじゃん、君」 「ナンパっていうか、偶然会っただけで」 「でも好きなんでしょ?」 助けてください。この人すごく強烈です。明るいを通り越してギラギラしてい…

青嵐吹くときに君は微笑む 10

←前のページ 目次 次のページ→ やってきましたクリスマスイブ。滴は「今日はアイドルのどの人が誕生日でー」なんて言っているが、世間一般ではイエスキリストの誕生日前日である。そしてこの国日本ではクリスマスは恋人たちが集う日になっている。世界でかな…

青嵐吹くときに君は微笑む 09

←前のページ 目次 次のページ→ 酒本先輩がバスケ部から姿を消したのは夏の大会前の練習試合の後からだ。 梅雨明けの湿気を帯びた熱気の中、近くの高校の部員がやってきて試合を何度も繰り返した。その日、先輩方のドリンクを用意しながら試合を見学していた…

青嵐吹くときに君は微笑む 08

←前のページ 目次 次のページ→ スマートフォンが振動してメッセージが届いたことを俺に伝える。 居間のこたつに潜りながら開くと、酒本先輩からだった。 「滴ちゃんはそろそろ家を出たかな? まだ居るなら今日は冷えるからあったかくしておいでと伝えてくだ…

破局指輪

←前のページ 目次 次のページ→ 高校生のとき、付き合っていた彼氏とペアリングを買った。ショッピングモールの中に入っているロック調のアクセサリーショップで店員さんにサイズを測って貰って選んだ。必要な肉もないほど痩せた彼の指は僕の指より細くて、店…

ヤンキー少女の正義

←前のページ 目次 次のページ→ 「へそピアスは開けないの?」と尋ねたら「開けないよ。殴られると痛いから」と答えた彼女のことを、僕はやっぱり好きだと思った。 彼女とは中学三年生のとき、同じクラスだった。三年生になって最初の日、自己紹介で彼女は「…