オリジナル小説サイト「渇き」

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001/シュレディンガーの性

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 最初のお題が「性別」というのは、いささか出来過ぎかもしれない。僕が選んだのではなくお題サイトの順番通りだ。だからむしろ語り始める最初にお題の作者は「あなたの性別は?」と聞いたのかもしれない。それほどまでに性別というものは生物にとって重要なものなのだろう。
 
 僕は自分の性別のことを「ノンバイナリー」と呼んでいる。
 男性でも女性でもない性別として生きることを望む、という意味だ。
 実際、僕は同人活動をする上で性別は非公開で(姿を晒すので推測はできるのかもしれないが、ぼかして言うなら服の中は『シュレディンガーの身体』なのである)、ネット上で声を晒すことは極力避けている。
 この生き方にたどり着くまで、それは長い旅をしてきた。
 MtF/FtMというトランスジェンダーなのか、MtX/FtXというXジェンダーなのか、悩んで答えが出ない青春時代を送った。
 僕は女性の服を着ることが好きで、化粧をすることも多い。けれど男性として扱われたい気持ちもある。
 この「らしさ」と「扱われたい」のギャップに悩んでいた。
 そしてもうひとつ、いわゆる「心の性別」というものを決めかねていた。
 果たしてそんなものはあるのだろうか。心の性別と体の性別が違うってどう証明したらいい。
 FtMが心が男性であることを主張したいがために過度な男性らしさを追い求めて「お前なんかFtMじゃない」と他者に言い放つところを目にした。MtFが過剰な美しさを求めて病んでいくところを見てきた。
 じゃあ僕はなぜ女性の服が好きなのに、女性として扱われることに違和感を覚えるのだろう。
 
 結論から言うと、どうやら僕は「自分の身体の性を知られることが苦痛でたまらない」という質なのだとようやく気づいた。
 心の性別云々はどうでもよくて、僕は僕として見られたいのだと。
 FtX/MtXという表記の「Ft/Mt」という生まれの性を表現することに抵抗があるため「ノンバイナリー」と自らを表現するようになった。
 体の性別を知られたり意識されたりすることが、下着の中身を凝視されているような恥ずかしさに苛まれてしまうのはなぜなのかはわからないけれど、きっとこれからも「なにものでもない僕」として生きていくのだろう。
 
 最後に、「らしさ」の話を。
 僕は化粧をすることが好きだけれど、もともととても抵抗があった。
 化粧=女性らしいこと であると。
 けれど昨今、化粧をする男性がよくメディアに出るようになった。
 ファッションのジャンルとして「ジェンダーレス」というものも生まれた。
 そうやって「性別らしさ」が変容していくことに僕はひどく救われてる。
 性別らしさではなく「自分らしさ」を生きられる世界がやってきますように。
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