オリジナル小説サイト「渇き」

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002/まだ何者でもない僕

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 大人って、もっとすごいと思っていた。
 僕は二十四歳になった。昔の嫌な言い方をすれば『クリスマスイブ』というやつだ。
 まだ世界のことを何も知らなかった頃、僕はきっと二十二歳で大学を卒業して、なんの職かも想像つかないくせにそのまま就職して、同性愛者である自覚もなく(実際は全性愛者なのだが)二十四歳くらいで結婚して寿退職。子供を何人かもうけて育てるのだろう、という未来予想図を描いていた。
 今の僕からしたら「何言ってんだこいつ」と心の底から馬鹿にして嗤ってやりたいほどの夢物語なのだが、幼かったのだからしょうがないと許してあげることにしよう。でも一体、誰にこんな未来を教わったのだろうと甚だ疑問に思う気持ちも捨てきれなかった。
 
 中学生の時、授業で「人生設計をしよう」というテーマを扱ったことがある。この頃には同性とも恋愛をするのだという自覚があった。けれど授業プリントに「同性婚ができるようになるまで結婚はできません」なんて堂々と書く勇気もなく、結局「結婚しない」と書いた。そして変わらず二十代の中頃には何かしらの夢の結果としての仕事をして「大人」になっていると思っていた。
 僕は、まだ大人とは言えない。謙遜ではなく、大人を夢見た幼少期の僕が、今の僕を認めようとしないからだ。
 
 小説家を目指すようになったのはいつだったか。
 本気になったのはいつだったか。
 行動に移したのは二十三の夏で、初めて結果が出たのが二十四になった翌日だった。結果と言っても、中途半端なもので、けれど僕に「あなたの文章は間違っていない」と強く殴りつけてくる、「逃げるな。お前はこの道でいい」と胸ぐらを掴まれるような思いをさせた結果だった。
 
 二十四歳は幼き日に思い描いたような「大人」ではない。
 けれど何かが変わるような、そんな予感もさせる歳で。
 
 診察中、精神科医がカルテを見て「二十四か……なんでもできるな」とつぶやいた。
 ううん、まだなんにもできてないんだよ、先生。そう心の中で答えてはにかんだ。
 道半ば。まだ何者でもない僕。
 きっとゴールは死だけれど、それまでに山頂の景色は見てみたいと思う。
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