オリジナル小説サイト「渇き」

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007/夫婦

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 それまでよそよそしくしか接することのできなかった祖母のことを、はじめて愛しいと思ったのは祖父の葬式でのことだった。
 祖父の葬式はとても小規模で、区立のセレモニーホールで行われた。参列者は親族を除くと叔父が呼んだ手伝い以外ではたった一人だった。叔父は「親父のやつ、無駄に長生きしちまったからよ。友達も釣り仲間もみんな死んじまって、一人しか来られるやついなかったんだと」とさみしさを含みながらも少しばかり誇らしく語った。
 死化粧をした祖父を見たとき、真っ先に叔父が「親父のやつ、生まれて初めて口紅塗ってやがるよ。死んでからだけど」と笑いを誘った。僕や両親、親戚たちは「ほんとにねえ」と和やかに笑っていた。祖母を除いて。
 祖母はゆっくりと棺桶で眠る祖父に近づくと、
「ほんとねえ、きれいにしてもらって。ほっぺた叩いたらおきるんじゃないのかえぇ?」
 祖母はやさしく、けれど祈るように祖父の頬を叩いた。何度も、何度も、叔父が止めるまで。
 それまで「祖父はとても長生きをして幸せな最期を迎えられてよかった」というおだやかで心地よい空気すらあった。けれどこのとき僕はやっとはじめて悲しみを自覚した。
 祖父を失った僕、としてではなく、「愛する人を失った祖母」の立場として。
 葬式の読経の中、僕は僕と祖父との思い出を思い返すよりも、これまで祖父母がどんな人生を歩んできたのかに思いを巡らせた。半世紀以上一緒に生きるって、どんな覚悟と愛情があるのだろうか。
 祖母のように、誰かを一生愛することができる人生を、歩めたらいいのにと願った。
 
 数年後、祖母が急に語り始めたことがあった。
「人生はね、七十代が一番楽しいのよ。若いときは苦労ばっかり。愛ちゃんも今は大変でしょう? 勉強だ就活だって。でもね、七十になると定年を迎えてね、いっぱい自由になるの。おじいさんとたっくさん旅行に行ったわ。愛ちゃんという孫にも恵まれてね。だから、七十代が一番よ」
 祖母は茶目っ気たっぷりに「八十すぎると膝が痛くなるからダメね」と付け足した。
 僕は幸せな七十代を迎えるために人生で何かを積み重ねることができるだろうか。
 そんな覚悟をくれた祖母のことを、心から敬愛している。
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