オリジナル小説サイト「渇き」

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004/人間関係の名前

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「親友はいますか?」と面と向かって聞かれたのは、僕が発達障害の検査をしている段階でのことだった。
 僕ははっきりと「いない」と答えた。「友達は多いんですけどね」とはにかんで。
 友達と親友の何が違うのかは言語化することが難しいけれど確かに違う。
 友達はたくさんいて、ご飯を食べる友達、服を一緒に買う友達、泊まりで飲み明かす友達、よくわからない生態の友達。たくさん、たくさんいる。その誰かを選ぶというよりは、選び取った人間関係の中で心地よくたゆたっているような感覚だ。
 では親友はどうなのか。
 僕の時代では「ニコイチ」という言い方をされていた。いつも二人で一緒にいて、なにがあってもお互いが優先で、隠し事はなくて、悩みごとは一番に相談して、洋服や雑貨のおそろいをして、二人で撮ったプリクラをSNSのアイコンにする。
 いささか僕の過大評価もあるのかもしれないが、親友ってなんだかそんなイメージだ。だからこそ僕には親友は必要なくて、大勢の大切な友人たちとそれなりの浅さで付き合えたらいいのかな、などと思う。誤解を招きたくないが、友人たちとの関係を軽んじているわけではなく、心の中心すべてまで見せて何事も相手中心になれる関係は望んでいないよ、という話だ。
 
 僕にもそんな“親友”のような女の子ができたことがある。
 けれどいつしかキスをして、「好きだよ」と言って、セックスをした。
 僕が親友というものに思い描いていたものは、どうやら“恋人”と呼ばれる関係なのかもしれない。
 
 親友ってなんだろうと思ったエピソードを最後に紹介しよう。
 僕には中学生の時、3年間ずっと一緒にいた同級生がいた。同じ部活で張り合って、二人だけが居残りをして練習することもあったし、3年生のときには見事、僕とソイツの2人だけが県合同バンドのメンバーに市内から選抜された。
 アホなこともしたし、喧嘩もしたし、いつもいつも一緒にいて。
 でもソイツが何を考えているかなんて全くわからなかったし、恋人と経験したような心の開示、深い話をすることもなかった。
 周囲には付き合っていると思われていた。けれど実際はお互いのセクシャリティをもってすると交際することは不可能で、恋愛じゃない一緒に要られる関係ってこんな感じなのかなと思う。
 ニコイチのようなあからさまな仲のよさはなかったけれど。だから親友とは呼びづらくて。
 
 成人式でソイツと再会したとき、こんなことを言われた。
「愛斗がいたから中学でも高校でもあれだけ部活頑張れたんだ。ライバルだと思ってた」
 ソイツは「感謝してんだよ?」と照れ隠しに慣れないビールを煽った。
 
 ライバルって、また新たな名前だな、と人の数だけある関係性に名前をつける苦労に、僕は苦笑した。
 
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