オリジナル小説サイト「渇き」

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青嵐吹くときに君は微笑む 10

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 やってきましたクリスマスイブ。滴は「今日はアイドルのどの人が誕生日でー」なんて言っているが、世間一般ではイエスキリストの誕生日前日である。そしてこの国日本ではクリスマスは恋人たちが集う日になっている。世界でかなりの人が信仰している宗教の神みたいな人の誕生日にそれはアリなのだろうか。ともかく、恋人たちが集う大切な日に酒本先輩と共に過ごせることが嬉しくて俺たちは浮かれていた。

「パーティーって何着ていけばいいんだろう」

「家だし、私服?」

「じゃあ室内では脱げる上着を着ていこう」

 俺たち兄妹はこんなに仲が良かったのだろうか。先輩とまた関わるようになってから滴と話すことが増えた気がする。しかし滴は知らない。滴は俺の恋敵だ。俺が勝手にそう思っているだけだけれど。

 家から出ると冷たい風が頬を刺した。空は鈍い銀色に光って、今にも雪が降りそうなくらいだ。

「うひー、寒いね、お兄ちゃん」

「そうだな」

 手をモッズコートのポケットにつっこんで、マフラーに顎を埋めた。滴も長い髪をふたつに結って青いスヌードを首に巻いている。

 駅前のスーパーでサンタクロースの恰好をしてクリスマスケーキを売る少女が目に入った。サンタクロースなのに、ミニスカート。この寒空で。ミニスカサンタは南半球だけにしてあげたいほど見ているのが寒い。

「ミニスカサンタを生み出した現代の煩悩を打ち払いたい」

「お兄ちゃん何言っているの。すけべ」

 そういう意図じゃない、と滴の冷たい頬をつねった。

 ミニスカサンタの少女は短い髪を揺らして、俺たちに手を振った。カップルだとでも思われたのだろうか。滴とだけはないな。

 逆に酒本先輩がミニスカサンタを着たらどうだろうか。

「やっぱり俺の煩悩も打ち払いたい」

「お兄ちゃん、やっぱりすけべじゃん」

 先輩のマンションに着くと、部屋中にクリスマスの飾りがされていた。キャンドルが溶ける甘い匂いと、美味しい食べ物の芳しさ。きらきら揺らめく炎に俺たちは最高潮に浮かれていた。

「零くん、滴ちゃん、いらっしゃい」

 エプロン姿の酒本先輩は今日も柔和な笑みで俺たちを迎えてくれた。BGMはもちろんアイドル曲だ。

「渚先輩、お邪魔します。今日のご飯は何ですか?」

「こら、滴」

 真っ先にご飯のことを訊く食いしん坊な妹に少し呆れる。が、酒本先輩は口を押えてころころ笑っていた。

「ごめん、滴ちゃんがアイツみたいなこと言うから。今日はローストビーフ作ったから楽しみにしていてね」

 やったー、と滴は喜んでいたが、先輩の言う「アイツ」って誰だろう。

「ご飯できるまでもう少しかかるから、おこたでゆっくりしていてね」

「あっ、私手伝います」

「そう? じゃあお皿並べてくれる?」

 先輩の横に率先して並ぶ滴の姿を見ていると、本当に先輩のことが好きなのだと背中で分かる。お似合いだな。俺なんかよりずっと。何もできなかった俺なんかより、酒本渚という人物と真正面から向き合おうとしている妹の方が。でも先輩が滴に恋をする日は来るのだろうか。

 そんな日、来なきゃいいのに。

「零くん、そろそろ食べよ」

 はっとして顔を上げると、酒本先輩は俺の横にしゃがんで目線を合わせてくれていた。

「暗い顔してたけど、何かあった?」

 小さく動く桜色の唇。

 引き寄せられる。酒本渚という人物に。

 そして、やはり先輩はシトラスの味がした。

「れ、零くん?」

 酒本先輩は唇を指先で押さえた。

 俺はしてしまったことへの謝罪の言葉を探す。頭を掻いて、無意味な声をあげて。

「謝らないで。謝らなくていいから」

 酒本先輩は俺の手を握った。

「せんぱーい、おにーちゃーん。何してるの、食べるよー」

「ごめん、今行くね」

 首筋まで紅く染めた先輩に、俺はしばらく動けなくなった。

 ダイニングテーブルにつくと、何故かお皿が四人分用意されていた。

「あれ、今日は四人なんですか?」

「うん、もうすぐ着くと思うよ。バイトしてから来るって言ってた」

 勢いでキスしてしまった先輩は意外とケロッとした顔をしていて。意識しているのが俺だけのようで何か寂しい。いや、本当に俺の煩悩どうにかしよう。

「メリークリスマース!」

 女性のけたたましい声と共にリビングのドアが開く。真っ赤なワンピースに黒いベルトに黒いニーハイ。そう。先程スーパーの前でケーキを売っていたミニスカワンピサンタクロースだ。

「ナギちゃんメリクリー! 今日のご飯は何かね? ――おや? 君たちは先程見かけたアベックではないか!」

「アベックって華(はる)ちゃん、それ死語だよ。あとバイトの服装のまま来たの?」

「もう、そんな固いこと言わないのナギちゃん」

 華ちゃんとよばれた女性は、あろうことか酒本先輩と熱い抱擁を交わしていた。先輩が、女性と? しかも嫌がることなく戯れている。有体に言えばカップルのイチャイチャそのものだ。

 俺の動揺も大きいが、心配で滴の方を見る。案の定、真っ青な顔をして固まっていた。

「華ちゃん苦しいよ」

「ふふーん、またあたしの乳が成長したってことか。ほれほれ」

「もう、やめんしゃい」

 確かにふくよかな胸部を先輩の肩あたりに押し付けている。うん。でかい。いや、そうじゃなくて。あの酒本先輩が拒否反応を起こさずに女性と戯れているという絵に圧倒される。実は彼女なのか?

「あの」

 滴が震える声で切り出す。

「二人はどのようなご関係で?」

「あーメンゴメンゴ、ナギちゃん可愛いから習慣でね。あたしは扇田(せんだ)華(はな)。ナギちゃんとは同じ大学で、予備校時代からの仲さ。あのナギちゃんにあたし以外の友達ができるとは。いやー、おばさん泣いちゃう」

 うんうん、と目を手で覆って泣きまねをする扇田華という人物に、なんというか、胃もたれがした。とりあえず友達らしい。酒本先輩も「また華ちゃんがバカ言ってる」と呆れているのでこの反応は正常らしい。

「とりあえずご飯にしようか。みんな、手洗いうがいしたら席についてね」

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