オリジナル小説サイト「渇き」

恋愛小説、純文学、エッセイを扱った小説家・佐倉愛斗オリジナルサイト

Vanilla01

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 薄暗い、この世から隔絶された部屋。繁華街の端っこにある小さなクラブのステージで、少年は妖艶に鞭を振るった。男は雄豚のような悲鳴をあげて、擦れて嫌に光る木の板に倒れる。ステージを囲む観客達は少年の冷たくも恍惚とした表情に息を熱くし、酒をあおる手を止めて見入った。

 ラバーのボンテージに身を包みハイヒールを履いたこの少年は、客の間では『夜蝶のシャル』と呼ばれ、このクラブで一番の人気を誇っていた。透けるような美しい白磁の肌に、熟れた唇。整った顔立ちに冷たいアーモンドの瞳。黒い滑らかな髪と、精巧な球体関節人形を想わせる無機質な躯体は誰をも魅了し、だからこそこの世界にいるのであろう。

 シャルは、カツカツと鉄底のヒールを鳴らして、這いつくばる男の前につま先を差し出す。男は当然とばかりに舌を伸ばすが、シャルは男の肉付きのいい顎を蹴り飛ばす。

「ぁ……あっ……」

 歯が数本、血液と共にステージまで吹き飛び、悶絶する男の粗末なペニスは小刻み震え、白い水を撒き散らしていた。

「何勝手にイってんのかな、豚以下のゴミが」

 シャルが男の顎を掴み、砕けた骨をジャリジャリと弄ぶ。悲鳴にならない声を上げ続ける男を一発平手打ちにすると、横のスタッフに連れていけ、と小さく指示を出した。スタッフに引き摺られながら、ありがとうございます。ありがとうございます、と男は叫んだ。

 客席を見ると、股間を膨らませた男たちが今にも手を一物に伸ばそうとして、今か今かと熱い視線をシャルに集めていた。

「ここからがショータイムだよ」

 シャルはボンテージの前のジッパーをゆっくりと、蛞蝓が歩くほどゆっくりと下ろす。ねっとりとした欲望の目を一身に集め、観客の息遣いに身を震わせてその固い服を脱ぎ捨てた。

 シャルがゆっくり振り返ると、観客はその美しさに息を漏らす。シャルの腰の左の方。心臓から真下に流れ落ちた先に、一羽の蝶が止まっている。黒く、艶やかで、死の使者のような蝶のタトゥー。それが彼のトレードマークだった。

 白い肌を安い白熱灯のスポットライトと観客の熱視線が焼く。背中にそう感じる。

 またゆっくりと振り返ると、足を開いて床に腰を落とす。ハイヒールで高くなった踵を腿につけて、陰部をすべて晒す。

 シャルはこの世の全てを見下す目で観客を見た。自身を見て情けなく発情して性器をしごく大人たちが滑稽で堪らなかった。そして、何よりそれが快感だった。

 肌を裂くような興奮にシャルも自らに手を伸ばす。空気がまた一段と淫靡なものに変わる。

 そこでシャルはある男の存在に気が付いた。

 最前列のその男の服の乱れはなく、髪も整い、顔はまるで待ち人に出会えたかのような喜びに満ち、清潔で、美しかった。

 この薄汚れたクラブに迷い込んだ不釣り合いな男は、シャルの目を奪ってやまなかった。

 シャルは固いハイヒールを脱ぎ捨て、男に足を伸ばした。すると男はシャルの足の甲に頬を寄せたのだ。

 シャルは指先で男の唇を奪い、そして声をかけた。

「おじさん、こんなところに何しにきたの」

 男はまっすぐな目で答えた。

「君、私のためのショーをしてくれないか」

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022気付いてないでしょう

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中学生のとき、とても仲のいい男の子がいた。
当時は携帯電話の時代で、「ガラケー」とも呼ばずに「ケータイ」と呼んでいた。
彼は同じ部活の同級生で、いつも一緒にいて、学校の帰りはよく一緒に寄り道をした。寄り道と言っても道端でなんでもない話をずっとしているだけだ。
ケータイでもよく話をした。
当時の料金プランが「三人まで通話し放題」というもので、彼をそのうちの1人に登録していた。
なんでもないことで電話しようとショートカットキーで彼に電話をかけると毎回、YUIの「CHE.R.RY」がかかった。
ケータイには「待ちうた」という機能があって、呼び出し中の音声を自分で決めることができた。
 
『恋しちゃったんんだ、たぶん。気付いてないでしょう?』
 
電話をかけるたびにYUIがそう歌った。
彼はYUIが好きだったから深い意味はなかったんだと思う。
けれどもしかしたら僕へのメッセージだったのかもしれないと思うと頬が熱くなった。
 
結局、中学を卒業してからはほとんど会うこともなく、スマホ化によって連絡先も分からなくなった。
成人式で再会したとき「君のおかげで中学の部活頑張れてた。ありがとう」と言われた。
 
『星の夜願い込めてcherry指先で送る君へのメッセージ』
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021/恋人の残り香

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自分の布団とは、あまり仲がよくない。
よく蹴飛ばして起きたら足元で小さくなっている。
そのくせ抱き枕になっている親密な日もあれば、どっしりと僕に覆い被さって逃してくれない日もある。
 
要するに僕の布団は気まぐれなのだ。
 
と、布団のせいにする僕が気まぐれなのだろう。
 
そんなに高くもなかったチェーン店の布団。
それに僕は満足している。
一緒に寝た恋人たちの残り香があるような気がして落ち着かない夜もあるけれど、結局は僕の布団なのだ。
 
布団が生むストーリーに今日も思いを馳せ、僕は眠りについた。
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020/かわりゆく

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幼い頃ってどうしてあんなにいろんなものが平気なのだろう。
ナメクジを飼ってみたり、バッタを釣ったり、ザリガニを捕まえたり。
今ではできない芸当だ。
 
ダンゴムシも、昔は大好きだった。
つっつくとコロンとまるくなり、それを手のひらで転がして遊んでいた。
体が広がると無数の細い足が天に向かってうじゃうじゃと動き出す。
そうはさせまいとまたつっついて丸めて遊んだ。
 
 
小学六年生のとき、ダンゴムシを飼う授業があった。
苦手なものは増えたけれど、ダンゴムシは平気だ。そう信じていた。
 
しかし結果として、僕はダンゴムシに触れなくなっていた。
 
 
人はできることを増やしながら成長していく。
けれど同時に、できなくなることも増えていくのだろう。
そしてそれを、老い、と呼ぶのかもしれない。
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019/生きていること

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僕が初めて蛙を見たのは、車に轢き潰されたウシガエルだった。
薄く伸びたゴム風船のようだと思った。
口からはみでた赤黒いものが、かつてこれが生き物だったのだと表していた。
生きているのかどうか。生きていたのかどうか。その判断はむずかしいと幼い僕は思った。

その後、動物園で毒蛙たちをみた。
カラフルで、毒々しくて、人工物みたい。
きっと彼らも轢き潰されたら、生きていたのかどうか判断するのは難しいだろう。

人間は「生きていた」という記憶があるから、死体になっても「生きていた」と思ってもらえるのだろう。
記憶が誰かが持っているのならば。

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018/貧富

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自分の家が裕福であると気づいたのは、家そのもの、建物そのものが立派であることに気づいたからだった。
住宅街には僕の家と大差ない大きな家が並んでいた。同じ区画の同じ家ばかり。
けれどこの小さな世界ではスタンダードでも、一歩出たら違っていた。
 
親が病で生活保護を受けている家庭の友人がいた。
市営住宅だという彼女の家に遊びに行ったとき驚いた。
壁が、コンクリートブロックに壁紙が貼られただけだった。
玄関もなく、サッシから入るとすぐ小部屋に二段ベッドが置かれ、奥にもう一部屋と、どこにあるのかはわからないけれどキッチンとお風呂とトイレもあるはずだとは思った。
家といえば玄関があって、廊下の先に部屋があって、清潔な水回りと個人の部屋がある。
その常識が打ち砕かれた瞬間だった。
哀れだとは思わなかった。けれど、家はその家庭の貧富を表すのだと知った。
 
僕の家は立派だ。
そのことに感謝しなくてはならない。
同時に、いつまでもそこにいられるとは思ってはならない。
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017/ひとりになれる夜

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入院中、僕はあえて昼夜逆転していたことがある。
眠剤が効かないとか不眠とかではなく、昼間に寝られるだけ寝て、夜中起きていた。
 
昼間は、他の患者たちの声がした。
楽しそうに談笑する声。怒り狂う声。泣き叫ぶ声。
そういったものが怖くてたまらなかった。
幻聴すら混ざっていたと思う。
なので逃げるように昼は寝た。
 
夜。するのは道路を車が走る音だけ。
静かで、暗くて、世界でひとりぼっち。
なんて自由なんだろと心落ち着いた。
夜は、孤独という自由を与えてくれる。
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