オリジナル小説サイト「渇き」

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青嵐吹くときに君は微笑む Side Boys つなぐ

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 車窓に切り取られた田園風景。俺たちの住んでいるあたりも都会とは言えない同じような風景だけれど、故郷からは離れた、違う風景だということだけは分かる。その場所固有の風景なのかは分からないけれど、非日常にやってきたという実感が俺をわくわくさせた。

「いい景色だね、零くん」

 そうだね、と俺は渚に微笑む。なんでもない田園風景。でも君がいるから特別。

「誘ってくれてありがとうね。なんだかんだ一緒に旅行って初めてだね」

「旅行に行けるだけ大人になったってことかな」

「じゃあもっと大人なことしていい?」

 不敵な笑みを浮かべる渚に、どうぞどうぞ、と俺は駅で買った物を取り出す。駅弁と缶ビール。プルトップを立てると小気味よい音がする。

「ビールが美味しいと思えるようになるとは思わなかったなあ」

「俺はチューハイの方が好きだけどね」

「お子様舌だね。って、お酒はお子様飲めないけど」

 ころころ笑う渚はいつになく上機嫌で、旅行に誘ってよかったと心から思う。こんなに可愛い子と一緒に居られるなんて。

「零くん、にんまりしてる」

「いいでしょ、べつに」

 幸せってことに、しておいて。

「わーい! 駅弁に染み染み煮卵入ってる! 零くん欲しい? うーん、あげなーい!」

 はいはいよかったね、と俺は渚の髪を撫でる。視線が交わる。触れるのには、まだ早い時間。

 

 駅からのシャトルバスに乗って宿泊先の温泉旅館に到着したのは日が落ちる少し前のこと。山並みに沈む夕日を眺めていたら俺たちは自然と手を繋いでいた。出迎えてくれた女将さんが俺たちの繋がれた手を見る。それでも俺たちは強く握り締めた。女将さんは柔和に微笑んだ。

「お風呂にする? それともご飯にする?」

 渚に問うと「お風呂でさっぱりしたいな。ご飯食べたら眠くなるし」と答えた。

「おっきなお風呂久しぶりだな」と浮かれる渚を見ていたらなぜだか泣きそうになった。手を離さなくてよかった。離しちゃいけなかったんだ。本当に、俺は。

「零くん、零くんが好きなのは誰ですか?」

 ずい、と彼が俺の顔を覗き込む。

「渚、です」

「じゃあ僕が好きなのは?」

 答えずにいると、

「相原零くん、ただ一人だよ」

 ね? と彼は俺の手を引いた。まったく、敵わないな。

 

 お互い頭と身体を洗って外に出た。公共の場には甘い空気は持ち込めない。雰囲気としては部活の合宿と同じような、いいや、もっと親密だけれど成熟した関係だと感じる。外は秋の装いで、ライトアップされた紅葉の鮮やかさに目を奪われる。

 露天風呂は岩風呂だった。湯の上を湯煙が走る。高い空にぽっかりと浮かぶ月。半月ってやつだ。

「上弦の月、だね」

 渚がぽつりとつぶやく。

 俺たちは違う瞳で同じものを見ていた。

 違うから、俺たちは引き寄せ合ったんだ。

「零くんってスケベなこと考えると真顔になるよね」

「なっ」

 渚が口角を上げる。湯の熱さだけじゃないものが耳まで熱くした。

「ふふふ、零くんだなあ」

「それは俺がモサ男ってこと?」

「否定してほしい?」

 ころころ笑う渚の頬に、小さな喉仏に、鎖骨に。だめだ、かわいい。

「あんまりかわいいこと言うと俺我慢しないよ?」

「どこがかわいいの、これ」

 変な零くん、と渚が口を押さえて笑った。

「あー、ちょっとのぼせたかも」

 俺は立ち上がって夜風に当たる。

 ひゃ、と渚が目を逸らす。

「スケベなのは渚じゃん」

「……スケベじゃないもん」

 今日のところはそういうことにしておこう。まだ夜は長いから。

 

 夕食は旅館の離れにある料亭を予約していた。こういう旅館に来ると(そもそもそんなに旅行をしたことがないのだが)家族向けなホテルビュッフェしか食べたことがない。個室の掘りごたつでお酒片手に季節の野菜と魚、そして地元のお肉を食べる。料理もひとつひとつの量は少なく、品数は多く。なんだか本当に大人になったみたいだ。

「何もしなくても出てくるご飯って最高だね」

 渚の頬が上気している。アルコールと旅の高揚。浴衣の合わせから見える肌もほんのり色付いている。

「いつも美味しいご飯ありがとう、渚」

 えへへー、とふやけた笑いを見せる。かわいい。旅費をせっせと貯めた甲斐があったな。

 いつも仕事を頑張っている渚をねぎらいたい。それに忙しい仕事の合間を縫って休みを取ってくれたことにも感謝しなきゃいけない。本当に、本当に渚は頑張ってるよ。

 ふあ、とあくびが漏れた。俺もちょっと飲み過ぎたかもしれない。

「そろそろ部屋戻ろっか」

 渚が腕を絡ませる。いつもより高い体温を感じていた。

 

 部屋に戻ると布団が二組、ぴったりとくっつけて並べてあった。

「女将さん、よく僕たちのこと見てるね」

「あからさますぎてびっくりする」

 顔を見合わせて俺たちはクスクス笑った。

 横になると俺の腕の中に渚が入ってくる。すっぽり収まる彼の身体。渚の匂いがする。大浴場の石鹸の匂いの奥に、彼のシトラスの匂い。

「いい、におい」

 うつらうつら。意識が夢の世界に入ろうとする。

 刹那、柔らかいものが唇を舐める。

「寝ちゃうの? 零くん」

 腕の中の彼が、官能の灯った目で俺に訴える。

「寝たら、やだなぁ」

 俺は彼を抱き寄せると唇を合わせた。深く、深く。思いの分だけ、深く。

「っはぁ……。零くん?」

 挑発的な笑み。俺が欲しいのは渚で、渚が欲しいのは俺。その事実が俺の雄を呼び起こす。

 渚の耳を食む。乾いた舌先でなぞり、耳元で水音を立てる。彼の控えめな甘い声が俺をますます興奮させる。

「ねえ零くん。やさしく……しないで」

 その言葉は俺の理性を飛ばすには十分だった。

 

「渚、お湯滲みない? 大丈夫?」

 部屋に備え付けの露天風呂。俺の脚の間に渚がすっぽり収まる。

「大丈夫だよ。切れてはないし。でも、腰は痛いかも」

「ご、ごめん」

 謝ることないのに、と彼は笑っていた。

「でもそうだね。いきなり手首縛られたのにはびっくりした」

「それはその、浴衣に付いてたから」

「零くんのえっちー」

「どうせえっちですー」

 暖かい湯の中で、渚は拗ねる俺に向き直る。

「零くん。零くんが卒業したら、一緒に暮らしませんか?」

「えっ」

「僕はずっとそのつもりだったよ」

 ほろり、と雫が落ちる。

「泣かないでよ、零くん」

「だって、俺、胸がいっぱいで」

 胸がいっぱいなのは幸せが詰まっているから。

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