オリジナル小説サイト「渇き」

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ひだまりの中で君は手を引く 11(完)

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「自分もついてきてよかったの?」

 秋晴れの日、ほんの少し寒くてマフラーを出そうか迷った。電車で市街地へ向かい、そこから歩いて二十分ほどの劇場に足を運んでいた。

「彼氏さん、余計怒るんじゃないかな」

 皐は不安そうに肩掛けカバンの紐を握り締めていた。

「いいんだ、皐の前で話しておきたいから。それに」

「それに?」

「一人じゃ怖い、ってのもある」

「零ちゃん先生、華姉ちゃんが言うようにホントダメなんだね」

 呆れる皐に俺は同情した。俺はホントダメだ。でも、変わりたい。変わらなきゃいけない時が来たんだ。

 

 観劇するのはもしかしたら初めてかもしれない。いや、小中学校の芸術鑑賞で観たのか。本当に遠い記憶だ。こんなにも子どもから遠ざかっているのに、大人までの道のりも長い。長い長い階段を見上げて目眩がする。

 舞台の内容はうまく説明できない。ただ、舞台らしい悲劇だな、とは思った。舞台が何か分からないけれど、漠然とそう思った。

 背景のセットはめまぐるしく変わった。どれも渚の作品だ。渚が目指したものがそこにはあった。夢を叶えて、大人になって。

 俺の夢は何か、考えたことがなかった。

 けれど皐と出会って、人と関わることの楽しさを知った。

 安直かもしれないけれど、これが俺の夢だと仮定しよう。

 人々の夢を応援する。そんな生き方もいいんじゃないのかな。

 

 観劇を終えて俺は劇場横の喫茶スペースに入った。

「渚」

 彼が振り返る。ふわふわの髪に、大きな瞳。

「零くん、皐ちゃん、来てくれてありがとう」

 皐が頭を下げる。

「渚こそ、仕事忙しいのにごめん」

「ちょっとの時間なら大丈夫だよ」

 渚がメニューを渡す。俺はカフェオレ、皐はレモンティーを頼んだ。

「零くん、話って?」

 口の中がカラカラだった。グラスの水を飲み干した。

「俺、渚とのこと考えたんだ」

「うん」

「俺は渚のこと守りたいってずっと思ってた。でも、それは間違いだった。一方的で独りよがりだった。こんなにも、たくさんのものを渚に貰っていたのに」

 手が震えていた。目をつぶって深く息をする。

「渚とこれからもずっといっしょにいたい。その資格が俺にまだあるのかはわからない、けど」

 声が尻すぼみになる。怖い。怖くて死んでしまいそうだ。渚の次の言葉が、怖い。

 注文したカフェオレが運ばれてくる。俺は砂糖を入れずに口に含んだ。

 ミルクベージュの水面が揺れている。心のように、大きく。

「ちゃんと言わなきゃ、ダメだよね。俺は、俺は渚が羨ましかった。前に進んでいく渚に取り残されたみたいで。卑屈になっていた俺が百パー悪いよ。でも、俺は、渚のことが好きなんだ……そのことだけは変わらないよ」

 渚が話し始める。

「僕はね。確かにうじうじしてる零くんには腹を立てた。見ていられなかったし、僕のことちゃんと見て欲しかった。でもね、待ってばかりの僕じゃダメだったね」

 ふわり。暖かい手が俺の手に触れていた。

「零くんが前に進めないのなら、僕がその手を引くよ」

 まっすぐな瞳が俺を貫いていた。

「一緒に生きよう、零くん」

 俺は生きていていい。この人と、ずっと。

「こちらこそ」

 皐ちゃん、と渚が切り出す。

「皐ちゃんに零くんはあげられない。どんなに皐ちゃんが零くんのこと好きでも、この人は僕のパートナーだから」

「分かってますよ、渚さん。自分もフラれるつもりでここにきましたから」

 皐の笑みは傷付いていた。けれど、これが恋というものだ。

「大学受かるまでは零くんのこと貸しておいてあげるから。絶対に返してよ?」

 皐は「返したくはないですけどね」と好戦的に口角を上げた。

「じゃあ皐ちゃん、絶対合格してね。延滞料高くつけるから」

「それは怖いです」

 二人があまりにも楽しそうに言うものだから、俺はなんだか許されたような心地がした。

「ねえ零くん」

「なに?」

「愛してるよ」

「うん、知ってる」

 

「皐ちゃん合格したんだね」

 桜が咲いて、また季節が巡る。渚の家のソファーを背もたれにカーペットの上に二人並ぶ。渚の頭が俺の肩に預けられる。この重みこそが存在してるって事だ。

「きっちり第一志望の学部にね。俺がみたのは一次のセンター試験までだったけど、画塾でかなり頑張ったみたい」

「零くんも頑張ってたでしょ?」

 そうだといいんだけど、と俺は彼の唇に触れた。

 もつれるようにカーペットになだれる。

「ここじゃ嫌だなあ」

「それじゃあ」

 うあっ、と渚が驚く。

 渚の重みを両腕に感じて嬉しくなる。

 ゆっくりと彼の部屋のベッドに横たえる。

「さすがにお姫様だっこは恥ずかしいよ」

「いいでしょ? たまには」

 もう、と怒ってみせる渚の蝋燭には火が灯っていた。

 

 肌が触れ合う。

 この行為はいつまでも続くわけじゃない。

 人生もいつかは終わる。けれど、

 

「零くん、帰ってきてくれてありがとう」

 あなたと手を繋いで、いつまでも。

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