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たかが愛のはなし 16

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 文化祭はあっという間に終わった、かのように思えたがまだひとつ事件があった。
 井澄が自クラスの当番に行き幸瑠が一人になったとき、体育館横の女子トイレで泣き続ける陽子の姿を見つけてしまった。
「陽子ちゃん? 何、どうしたの」
「幸瑠先輩……あたし、あたし、一人になっちゃった」
 陽子が示す「一人」とは、恋人がいない状態を指していた。
「大賀先輩はなんであたしのこと嫌いになるんですか。こんなに、こんなに好きなのに」
「好き、かあ」
「おかしいと思いますか、こんなに寂しがるなんて」
「ううん、思わないよ。思わない」
「あたしを、あたしを一人にしないでよ」
 泣き続ける陽子の背中をさすり、幸瑠は話を聞き続けていた。
 こんなに恋い焦がれる陽子のことを幸瑠は残念ながら理解することができない。しかし理解できないからと突き放すことも間違っていると知っていた。
「馬鹿だと思いますか?」
「ううん、思わないよ」

 

 陽子と大賀が別れたことを幸瑠は井澄に言えなかった。吉報のように語ることをしたくはなかったからだ。
 井澄はクラスの出し物を大賀が見に来てくれたことを喜んでいた。井澄のクラスは自主制作映画の上映会をしていた。井澄は顔はいいけど演技力はないな、と思った。
「大根役者って本当にいるんだね」と漏らすと「うるさい」と井澄はへそを曲げてみせた。
 陽子の涙が忘れられない。映画の中の涙とは質が違う。慟哭とも言うべき陽子の言葉が脳内でハウリングしていた。
「幸瑠と歌うのはこれが最後か」
「わたしが東京に行けば一緒でしょ?」
「そうだな。合唱やめるつもりはないし」
「わたしもだよ」
 一緒にいることを肯定して欲しい。
「ねえ、本当にわたしと付き合ってみない?」
 何を言っているんだと突き放して欲しかった。
「悪くないかもな」
「うん、きっと悪くないよ」
 二人は指を絡ませた。求め合うことに理由はいりますか。

 

 帰宅すると大賀がソファーで脱力していた。顔だけこちらに向けて「文化祭おつかれ」と大賀が言う。
「あにきこそお疲れ。いろいろと」
 大賀ははにかんで「陽子に聞いたか」と問う。
「トイレで泣いてるところを見つけた」
「そっか、泣いてたか」
「うん、すごい勢いでね」
 大賀は眉尻を下げてから顔の向きを戻した。
「別れを決意した相手でも泣かれるのが嫌って、おれもお人好しかな」
 幸瑠は「自然なことじゃない?」と返す。
「なんで別れたのか聞いていい?」
 そうだな、と大賀は考え込む。
「おれのことを見てないって感じたからかな。陽子が欲しいのはおれじゃなくて、恋人に愛される自分自身なんだと思えてからダメだった」
 自信なさ過ぎだろ? と自嘲する兄のことを幸瑠は愛おしく思った。
「幸瑠は斉藤とうまくやってるか?」
 実は今日から付き合い始めた、とも言えるわけもなく「まあね」と答えた。
 思考の端に圭一のことがあった。でもこれで圭一を堂々と突っぱねることができるな、とも思ったけれど、部活もないのに会うこともないことに気付いた。
 ――わたしに恋を教えてよ。
 井澄の瞳に映っていたのは、大きな月と諦念だった。

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