オリジナル小説サイト「渇き」

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たかが愛のはなし 15

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「行きたくないな」と思っていたことが口から出ていたようで、共に朝食をとっていた大賀が怪訝な顔をする。
「幸瑠、今日文化祭だろ」
「うん。文化祭」
「ラストステージが寂しいか?」
「そういうんじゃないけど、そういうことにしておいて」
 なんだそれ、と大賀はブラックコーヒーを飲む。大人だな、あにきって。
「おれもあんまり行きたくないかも」
「わたしのラストステージが寂しい?」
 大賀も幸瑠同様に「そういうことで」と誤魔化した。
 圭一の真意が分からない。何故幸瑠にこだわるのだろう。なんだよ、愛って。
 誰かのものになることだけが愛なのか。そんなはずないと思いたい。肉体関係があることが愛なのか、自由を献上することが愛なのか。
 わかんないよ。そんなこと。
 胃の中身がぐるぐるする。砂糖のたっぷり入ったカフェオレ。甘ったれた子どもでいさせて。
 本番はあっという間にやってきて、あっという間に終わるだろう。

 

 幸瑠は登校すると教室に荷物を置いて音楽室へ向かった。
 ここで発声練習をするのも最後。そしていつか井澄と一緒にいる時間の最後も訪れる。東京までついていくかまだ決めていない。一緒にいたいことに理由は必要だろうか。永遠を願うことは愚かだろうか。
 陽子と圭一は直接言い合ったりはしないが険悪なムードを出していた。幸瑠は他人事のように感じる。井澄との関係はこの二人が思っているものとは違うと感じていた。
 ストレッチをして身体を温める。胸の真ん中に冷たいものがある。氷を抱きしめたときのような切なさ、さみしさだ。
 どうして人は変わりゆくのだろう。何も変わらないでいたい。
 ステージはやってくる。
 井澄と目を合わせて頷く。さあ、歌おうか。

 ステージからの景色が好きだ。
 全身で感じる音楽が好きだ。
 一人じゃないと思える瞬間が好きだ。
 これらの「好き」と井澄に対する「好き」に何の違いがあるというのか。
 イントロのアカペラ。声が重なる。ハーモニーが生まれる。ピアノが加わる。肌が粟立つ。名前のない感情が全身を駆け巡る。わたしはここにいる。人間関係の中に属している。どうしようもなく愛しい事実。
 音楽が美しいのは、必ず終わりがあるからだ。
 楽譜の最後のページをめくる。
 井澄に恋をしないのは、必ず終わりがあるからかもしれない。

 

「お疲れ様でしたー!」
 ステージを終えて音楽室で簡単な打ち上げをしていた。
 各クラスの出し物に出かけた部員もいたが、大体の部員はここでジュースを飲んだり語らったりしている。
「お前、泣いてただろ」
 井澄が幸瑠を揶揄する。
「ばーか」
 幸瑠は否定しない。涙は流れなかったけれど泣いていた気がする。
「ステージってあっけないな」
「そだね」
 顔を見合わせて笑う。永遠なんてないと思い知る。
「おつかれーっす」
 来訪者に部員たちが音楽室の入り口に視線を集める。大賀をはじめとする卒業生たちだった。
「大賀先輩」と陽子が駆け寄る。井澄の手を幸瑠は反射的に握っていた。
「見ててくれたんだね」
「まあな」とはにかむ大賀を幸瑠は不審に思った。
 差し入れな、とアイスバーを箱でもらう。この習慣も合唱部の伝統だった。
 皆で食べていると陽子が大賀と姿を消していた。井澄は気付いているだろうか。気付いていて欲しくないなと願った。
「幸瑠先輩、ぼくと一緒に文化祭回りませんか」
 圭一だった。陽子がいないからだろう。圭一の強い意志を感じる。幸瑠は怖くなって何も言えない。
「悪いな、三森。こいつはおれと回るんだ」
 井澄だった。
「ズミ先輩のものじゃないですよね」
「ああ、こいつはおれのものでもないし、三森のものでもない。でも幸瑠はおれと一緒がいいんだと」
 幸瑠は「うん、そうなの」と答えた。
「わたし、井澄のこと好きだから」
 嘘じゃないよ。

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