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たかが愛のはなし 08

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 夕食と入浴を終え、談話室でのゲーム大会もお開きとなり、幸瑠は女子部屋で眠ろうとしていた。家族でも恋人でもない人たちと一緒に眠る。体温が側にある。先程消した蚊取り線香の残り香を心地よく思っていた。
「みなさん、もう寝ました?」
 女子部員の一人が声を発する。寄せ合った枕にうつぶせになり、皆が顔を寄せる。夜の女子部屋は秘め事のためにある。
「さっちん先輩はズミ先輩と付き合ってどれくらいになるんですか?」
 やっぱり来た、と幸瑠は身構える。用意していた答えを並べる。
「一年の冬だよ。だから一年と八ヶ月くらい」
 女子部員たちのかみ殺した悲鳴が響く。嬉しそうだね、あんたたち。と幸瑠は揶揄する。
「でも、さっちん先輩ってモテますよね。どうしたらそんなにモテるんですか?」
「さあ、モテたくてモテてるわけじゃないし……好きでもない人からの告白って嬉しくないし」
「さっちん先輩カッコいい!」と女の子たちがはしゃいでる。
「でも、悪い気はしないですよね?」と陽子も加わる。
 この質問に正直に答えてはいけないと幸瑠は知っていた。迷惑だしやめてほしい。分かりたくもない。愛の告白は重すぎる、なんて言ったときには彼女たちの夢を壊すだろう。
「そうね、ありがたいなって思うようにしてるよ。申し訳ないけどね」
 女の子たちの中で生きていくには謙虚さというものが必要なのだ。調子に乗れば叩かれる。いつでも謙虚に。時には大胆に。そのバランスというものを保ちながら生きていく。
「そういう陽子ちゃんは彼氏できたんでしょ?」
 逃れるように話を陽子に振る。案の定彼女は「そうなんですよぉ」と語尾をくねらせた。他の部員がすぐさま食いつく。恋に飢えた女の子たちだった。
「さっちん先輩には話したんですけど、大賀先輩とお付き合いしてます」
 音を殺した驚嘆の声があがる。大賀のことを知らない一年はどんな人なんですか? と興味津々だ。すごくカッコいいよ、と二年が言う。幸瑠の兄、大賀は幸瑠とは違うジャンルの美形だった。ハンサム、という言葉が近いのかもしれない。人当たりの良さから女子部員から――そして井澄から熱い支持がある。
 それから女の子たちはいつから付き合っているとか、どんなところが好きなのかとか、告白の言葉はとか、根掘り葉掘り聞き、陽子は待ってましたとばかりに雄弁に語って聞かせた。陽子が一年で大賀が三年だった去年のうちに連絡先は交換していた。
「あたし、寂しいの無理なんですよぉ」
「彼氏と別れて寂しいって言ったら大賀先輩が慰めてくれて――」
「すんごく優しいの。もうぞっこんで――」
「大賀先輩はモテるからライバル多かったけど、選ばれたのはあたしで――」
 陽子が見せつけるように話すことに幸瑠はいささか苛立っていた。
 寂しいから付き合うなんて失礼な奴。勝ち誇るようなことじゃない。
 人が誰かに苛立つとき、大体は自分に対して苛立っているときだ。

 

 宿坊の朝は早い。列をなす僧侶たちの声に目を覚ました。
 幸瑠は小さく伸びをすると、ジャージ姿で宿坊の前庭に出た。
「おはよ」
 先に出ていた井澄に会う。約束をしていたわけではないが二人の呼吸や生活のリズムは気付いたら揃っていた。
「おう、おはよ」
「おうっておっさんかよ」
 うるさい、と井澄の肩を小突く。
 水分の多い朝の空気を胸一杯に吸う。乾いた肺が潤う。
「おつとめ行くか?」
 井澄の誘いに乗って山頂の本殿に向かった。
 豪華絢爛な装飾。圧巻の読経。なつかしくて、今年もここに来られたとほっとする。
「幸瑠、なんかお願い事したか?」
 寺は願い事する場所だろうか。
「んー、世界平和」
「なんだそれ」
 恋のない平和な世界になればいいのにね。

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