オリジナル小説サイト「渇き」

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たかが愛のはなし 07

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 季節は巡って夏休み。蝉の声が涼しいと詠んだ人の気が知れないほどの猛暑日が続き、やっと夏から逃げ出せる山梨合宿がやってきた。お金なんてない高校生たちなので、青春18切符をみんなで分けて鈍行列車で山まで向かう。車窓からの緑が増える度に体感温度が一度下がる。夏から逃げ出してしまおう。焦がれるような思いからも。
 電車に乗ったばかりの頃は皆おしゃべりに花を咲かせるが、あまりにも長い乗車時間に最終的にはしゃべり疲れて物思いに耽る。井澄に至っては幸瑠の肩で眠りこけていた。
 しょうがない奴、と幸瑠はなるべく動かないように肩を固定する。ノースリーブのブラウスから覗く右肩に井澄の頬が触れる。髭の薄い彼の頬はなめらかだった。
「ズミ先輩贅沢ですね」
 ボックス席の対面に座っている陽子はしきりにスマートフォンを両手で確認していた。
「陽子ちゃんはあにきとLINE?」
「よく分かりますね」
 陽子が顔に花を咲かせる。聞いて欲しかったとばかりに語り始める。
「なんか、好きな人とはずっと話していたいというか、これが自然? みたいな。少なくともおはようとおやすみは言いたいです。学校が違うから毎日は会えないし、寂しくなっちゃって。さっちん先輩はマメに連絡しないんですか?」
 わたしの場合は井澄か。幸瑠は少し考えて、
「わたしはしないかな。お互いがお互いの時間を過ごすものだと思うし、あんまり縛られるのは好きじゃない」
「それは学校で毎日会えるからじゃないですか。同い年カップルってそういうところがいいですよね。そういうところは羨ましいです」
 本気で羨ましいとは思っていない陽子に幸瑠はお熱いことで、とはにかんだ。その後で笑い事じゃないことを思い出す。陽子が付き合っているのは大賀で、横で眠る井澄の思い人だ。
 また何か話そうとする陽子を制して「井澄が起きるといけないから」と告げた。
 井澄に聞かれるとまずいから、という意味だった。
 ホントさっちん先輩はズミ先輩に優しいですね、と陽子は圏外になったスマートフォンを惜しむようにショルダーバッグの中に仕舞い、他の部員と同じように物思いに耽っていた。

 

「畳を崇めよ」という替え歌はここの合唱部の伝統である。
 本来は「大地を崇めよ」なのだが、土の匂いよりい草の匂いのほうが偉大だとOBの大賀らを含む全員が言う。音楽室の畳マットといい全室畳敷きの宿坊といい、畳好きにも程があるだろうと幸瑠はちいさくつっこみを入れた。
 宿坊の二階は十畳の和室が三間繋がっている。端をそれぞれ男子と女子の寝室とし、間を皆が集まる談話室とした。男女に分かれて寝室に荷物を置くともう夕刻となっていた。
「夕食にするか、少しでも歌うか」という顧問の問いに全員が歌うと答えるあたり当部は熱心かもしれない。それだけ音楽を愛し、この合宿を楽しんでいる。ただ、歌う曲が少しばかり場違いな点を除けば。
 山中の宿坊、一階の仏間が練習場所。電子ピアノを運んできて好きなだけ歌う。
「いつも思うけど巨大な仏壇の前でクリスマスソングを歌うのって場違いじゃない?」
 幸瑠は三年間同じ事を言っている。が、本気で責めているのではない。小さな罪を犯すのはとてもわくわくすることであると幸瑠や他の部員も知っていた。
「しかも真夏だしな。どこがクリスマスなんだか」
 井澄が同調する。顔を見合わせてくすくす笑う。
 圭一が歌い出しの和音を奏でる。
「さあ、あなたからメリークリスマス」

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