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触れ合った後のお風呂は嫌いだ。肌にある人の名残が泡となって離れていく。
井澄に満たされて、それだけでよかった。幸瑠の渇望は満たされる。でも井澄がその男子とつきあい始めたら、きっともうこんなことはできない。独占欲ってやつ? と思い至って歯から息を漏らして笑った。そんなわけない。これはそんな容易いものじゃない。
井澄は幸せになれるのだろうか。幸瑠と離れているのが本来の姿だ。
どうして恋愛は一対一の契約なのだろうか。付き合ったら付き合ったで異性の友達に会うなとか意味が分からない。そこまでして自分の自由を差し出したくない。みんなで仲良く。それが一番だ。閉鎖的な関係はいらない。
だから井澄に彼氏ができても、幸瑠はこのままでいたいと願う。
現状維持に甘える恥ずかしさに頬が歪んだ。変わることが怖いと思う自らを恥じる。手に入れたいなんて言わない。
井澄の話をちゃんと聞こう。どうしたいか決めるのは幸瑠の役目ではなかった。
翌日、幸瑠は井澄の教室へ行き一緒に昼食を取った。周囲から注がれるのは「お似合いのカップルね」「リア充がいちゃつきやがって」という羨望と嫉妬。男女が一緒にいるだけでカップルだと思われるこの世は歪んでる。いや、歪んでいるのは幸瑠の方か。おかしくなってこの状況を楽しんでいた。
「お前の玉子焼きうまそう」
「からあげをくれたら食べることを許す」
「うっ、まあいいよ。交換な」
井澄がピックに刺さったからあげをさも当たり前かのように幸瑠の口元に運ぶ。幸瑠もあまり意識せずにそれを口に含んだ。カップルっぽいかな、と思い至ったのは全てを食べ終わった後で、許されたいような気持ちになった。
食後、幸瑠が自分のクラスに戻ろうとすると、幸瑠より背の低い男子が幸瑠の前に立ちふさがった。短く刈り込んだ髪が逆立っている。
「新山幸瑠、だよね」
「何?」と聞いたが大体見当はついていた。
――井澄に告白した男子だ。
「新山が斉藤の彼女なのはみんな知ってる。でもぼくは諦めない。諦めないって決めたから」
諦めなかったら何になるの? いつか振り向いてくれるのを待つの?
ばっかみたい。
「そんなに井澄のことが好きなの?」
男子は耳まで赤くして俯いた。
「残念だけど、コイツはわたしのもんだから。手を出すな」
井澄の腕を抱き寄せる。
コイツに恋していいのはあにきだけだ。あにきのことを想う井澄のことを、わたしは。
男子は今にも決壊しそうなダムを両目にたたえて立ち去った。
あーあ。泣いちゃうのか。気味がいいと笑う幸瑠は自らの攻撃性を恐ろしく思った。
「ヤキモチですか、幸瑠さん」
ニタニタと井澄が糸切り歯を見せる。
「違うわばーか」
これはただの所有欲。
わたしを埋めるのはあんただから、井澄もわたしでいっぱいになってよ。あにきでいっぱいになれないのなら。
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