オリジナル小説サイト「渇き」

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たかが愛のはなし 05

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 ――あにき、陽子ちゃんが彼女ってホント?
 合唱部のミーティング中だった。幸瑠は畳の上で膝を抱える。
 もうすぐ夏休みで、夏合宿の予定をそろそろ立て始めないといけない。場所は山梨県にある宿坊。山奥なので交通の便は悪いが、夏を快適に過ごせる程度には涼しい場所だ。そんな宿坊で歌う曲といえば、
「やっぱりクリスマスソングは外せませんね」
 というのがこのひねくれた合唱団の総意だ。
 ――ホントだよ。陽子と付き合ってる。
 何をしているのかミーティングが始まっても井澄が音楽室にいない。今日は井澄に会いたくなかった。ちょうどいいけれど、いないことを意識すれば余計気になってしまうもので。
 ――どっちからって、陽子に告白されたんだよ。
 ばっかみたい。を噛み下して呑む。告白されたら誰でもいいのか。幸瑠にはできないことの一つだ。潔癖症なのか、なんなのか。でも好きでもない人となんとなく付き合うって不誠実ではないのだろうか。付き合うってもっと素敵なことで、特別な事じゃ――。
「幸瑠先輩、聞いてます?」
「へぇっ? あっ、ごめん」
 圭一の問いかけに顔を上げる。声が裏返って恥ずかしかった。
「今年の合宿の料理担当は僕、三森と幸瑠先輩になりました。ズミ先輩はいないのでレクリエーション担当で」
 はいはい、と生返事をする。朝夕は宿坊の女将さんが作ってくれるから実質料理するのは二日目と三日目の昼だけだ。簡単にカレーか、焼きそばか。素麺でもいいな、とぼんやり考える。
「よろしくおねがいします、幸瑠先輩」
 よろしく、と幸瑠は答えた。
 がらり、と音楽室のドアが開く。井澄だった。
「ズミ先輩遅いですー」と陽子がいじる。この二人の組み合わせを幸瑠は見たくなかった。
「わるいわるい」とごまかす井澄に違和感を覚えた。いつも一緒だから分かる。勘みたいなもの。
 幸瑠の横にマットを敷いて井澄が腰を下ろす。どさりと座った彼は糸の切れた傀儡のように支えがない。もろく崩れるようだった。
「何かあった?」と幸瑠は耳打ちする。
 手短に「後で話す」とだけ返事があった。
 幸瑠の胸がざわりと乱れた。

 

 二人きりの帰り道、二つの雨傘が並んでいる。
「あんた、なんかあったでしょ」
「お前はするどいな」と井澄は観念した。
「告白されたよ」
「それはいつものことじゃん」
「……男子に」
 幸瑠の足が止まる。泥濘んだあぜ道。雨音だけが二人を包む。
「三年の男子で、クラスが同じ奴なんだけど。おれ、男から告白されるのは初めてだ」
「へ、へえ……」
 井澄は男性と恋をするタイプの人間だ。
 大賀は陽子という彼女ができた。勝算は薄い。不毛な恋という奴を井澄はしている。ならば勝算のある人と、自分が好きになってもらえる可能性のある人と、付き合って幸せになってもいい――付き合うことが幸せなことなのかは幸瑠には分からない。幸せに逃げてしまう事への抵抗はあるけれど。
「付き合うの?」
 井澄は首を横に振った。
「おれは、大賀先輩のことが好きだから」
「あにきは可能性低いと思うけどな」
「可能性だけで恋はしてないよ」
 そういうものか、と幸瑠は井澄の恋心の存在に安心する。
「幸瑠、お前んち行っていいか?」
「あにきはいないと思うよ」
「そうじゃなくて」
 井澄の前髪が揺れる。あの目だ。幸瑠も持っている、さみしいときの目。
「うん、行こ」
 幸瑠は傘を閉じて井澄の傘に入る。井澄が幸せになるためにはどうしたらいいですか。

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