提案したのは井澄の方からだった。
高校生になって最初の冬。こんな寒い日に熱を求めるのは自然なことだったのかもしれない。
井澄の腕の中で幸瑠はまどろみから目を覚ました。
「どういうこと?」と幸瑠が聞く。
「そのまんまの意味だけど」と井澄は答えた。
しばらくの沈黙が流れる。
ここは井澄の部屋で、一緒に冬休みの課題をしていた。課題はやった、一応。幸瑠は自らのことをユートーセイだと揶揄した。ユートーセイだから男女でベッドで抱き合っているのだと。
井澄の腕の中は落ち着く。幸瑠は井澄に与えられるものに不満はなかった。
「わたしが井澄に抱かれてるから?」
「抱いてはないだろ」
「じゃあハグ」
「それは否定しない」
井澄が幸瑠の肩を抱き寄せる。
「おれはお前のこと好きにはならない」
「知ってる」
「お前もおれのこと好きにならない」
幸瑠は返事ができなかった。好きってどういうことだろう。契約を結んで一緒に居ることを肯定することだろうか。でも。井澄が隣にいてほしいと望むのは幸瑠ではないと幸瑠自身が知っていた。
「じゃあいいだろ」
沈黙を肯定と取った。何がいいのか分からなくて幸瑠は薄笑いした。
井澄の匂いがするベッドの中で何をしているのだろう。
このような関係になったのはいつからだったか。井澄と幸瑠は高校に入学してから知り合った。部活動体験期間中、他の部活には目もくれす毎日合唱部の体験に参加していたのがこの二人。幸瑠は兄・大賀がいるからという理由もあった。井澄ももしかしたら同じだったのかも、と思うと幸瑠はいつもおかしく思う。いつから井澄が兄のことを好きなのかは知らない。知らないけれど、恋しているのだということはなぜか分かった。
――恋しているあんたに恋した、なんて言ったらわたしの前からいなくなる?
井澄に関することはおかしいことばかり。本当におかしいのは幸瑠の方なのか。価値観の相違? ううん、もっと根本的なことだ。
――そうだ、寒かったからだ。
恋に怯えて肩を小さくしている井澄が、酷く寒そうに思えた。ほんの出来心で抱きしめたんだ。
それが案外よかった、なんて何をしているんだわたしは。
「わたしのこと、彼女だと思えるの?」
「いや、全く。おれ、男が好きだし」
抱きしめながらいうことではないよな、と井澄がつぶやく。幸瑠は意地悪く肯定した。
幸瑠は自分が主役の恋を想像できない。自分の人生を生きていないように思っていた。
「言い切るんだね」
井澄は少し言葉に詰まって、
「可能性が閉じてるって思うから。ないものはない」
「そういうものか」と幸瑠はひとりごちる。
「告白されてお前も大変だろ」
「そりゃあ、まあ」
なんか、言い訳がましいね。と井澄の鼻をつまんでやる。告白を迷惑だと思ってしまうわたしは何かがおかしいのかもしれないけれど、好きでもない人に言われても困るというのも事実で、一方的に愛をぶつけてくる人たちのことを好意的に思えと言われるとつらいものがある。だってわたしの中には、恋する井澄がいるから。
幸瑠は井澄の胸に顔を擦りつける。二人の間には厚い冬服という壁があって、それを脱ぐことはきっとない。恋人同士の契約なんて、身体の関係を肯定するだけの建前なのかもしれない。
「寒いか」
エアコンのリモコンに手を伸ばそうと井澄が身体を起こそうとする。
「やだ」
幸瑠は彼を引き留める。
「だっこ、してて」
しょうがないな、と井澄が幸瑠を抱き寄せる。
愛を囁き合うのでもなく、身体の関係があるわけでもない。でも、人の暖かさには抗えなくて。
唇が重なっていた。初めてのやわらかさ。人の身体の中で最も、熱いところ。
「井澄が好きなのは、あにきのことだよね」
彼の首に朱が走る。
「いいよ、彼女のふりしても」
井澄がぶつけられない思いを、幸瑠は受け止める。
これは契約だ。寂しさを埋めるための。
幸瑠と井澄はユートーセイだ。清く正しく男女交際。
――ばっかみたい。