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嘘つきは物語の始まり 第四夜 自慢――――コイゴコロ

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「そういえば、君の自慢を聞きたいなぁ」

 今日のアヤカさんは珍しく酔っているようだ。目元が潤んで少しだけ赤い。

「アヤカさん、飲みすぎじゃないですか?」

「あら、女が飲みすぎているときは大体失恋したときなのよ」

 えっ、と声をあげると、アヤカさんは「勿論嘘よ」と付け足した。

「嘘」というのが「嘘」なのか。それとも「本当」に「嘘」なのか。そんなパラドクスに惑わされる僕は、前者であることを願ってしまった。彼女の癒しになれるのなら、僕は喜んで嘘を吐こう。

「僕の自慢ですか? 目の前の美女とお付き合いしていることですよ。――あっ、勿論嘘ですよ」

 嘘の嘘を僕は語り始めた。自慢って、なんだろう。

 

   □

 

   「コイゴコロ」

 

 これは自慢と言うよりは、過去の笑い話だと受け取ってほしい。

 

 私には中学生のときにファンクラブがあった。私のことを熱狂的に好きだという少女たちがいつの間にか私の周りを取り囲んでいた。

 ひとつ前置きしておくが、私が通っていた中学校は公立の共学校で、地元の小学校からいくつか集まってひとつの中学校になっていた。そして私は別段ボーイッシュとか、イケメンとか、美人とか、そういうものでもない。女子校ならではのあるある話ではないのだ。

 

 きっかけ、というものはきっとこれだろうというものがある。

 私は演劇部のただの部員で、文化祭でありふれた恋愛モノの演劇を披露した。その演目の中で、私は主人公の少女に恋をする役どころであった。結局はこのご時世に倣って少女は王子様と結ばれるのだが、少女に恋をして叶わない愛の言葉を高らかに歌うシーンに体育館の空気が張り詰めた。

 ファンクラブの一員と名乗った女生徒から多く聞いたのは、この演目で「どうして女性に恋をしても結ばれないのか」と疑問に思ったらしい。

 私は役とは違い、レズビアンではない。今のところ、女性とお付き合いしたいと思ったことは、彼女たちからしたら残念ではあるかも知れないが、ない。

 それでも少女たちは熱狂的に私に愛を向けた。羨望という残酷な愛を。

 

 どれだけ熱狂的だったか。

 まず私は廊下で知らない女生徒たちに名前を呼ばれ、握手を求められた。握手をした女生徒は目に涙を浮べて「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。

 次に、部活の見学者が増えた。演劇部に興味があると言うようには到底思えない人ばかりで、私に熱視線を送るばかりだった。部長には呆れられたが、咎められなかったことが救いであったかもしれない。咎められていたら、彼女たちに私は怒りを向けただろう。

 そして私はたくさん告白されるようになった。勿論、女生徒からだ。人数は十を超えてから数えていない。恋愛に疎かった私は、ただ「ありがとうね」と笑顔でかわしていた。気持ち悪くは無かったが、「何故」という疑問が大きかった。どうして私と話したいのだろう。どうして私に触れたいのだろう。どうして私を見ていたいのだろう。

 ちょっとした人気者、という地位に私は少しばかりの優越感を覚えていた。そして、どうせ冗談ではやし立てているのだろうと、好意に笑顔で返していた。

 私のファンクラブ、という言い方も恥ずかしいが、彼女たちは非常に良心的だった。物が盗まれることも、家まで押しかけられることもなかった。ただただ私に愛を向けていたのだ。

 私には分からない愛を。

 

 さて、そんな最中、私はある男性に恋をした。部活で関わりのあった美術部の男子生徒だった。私は彼のことを思うと体が火照るような、涙が出るような思いに苦しめられるようになった。

 彼と話せたらどれだけいいだろう。彼が笑いかけてくれたらどれだけいいだろう。今、何をして、何を考えているのだろう。

 恋する乙女となってしまった私は、彼女たちの思いの意味を知ってしまった。

 

 私は彼に告白した。簡単に「好き」の二文字で。

 彼の返答は「ごめん」だった。

 

 私は泣きに泣いた。一人、枕を抱きしめて夜中。月が輝くのが恨めしくてカーテンを閉めた。そして私に今まで向けられていた愛の重さに、私は体中を吐き出した。

 

――――好きって、こんなにも残酷なのか、と。

 

 次の日、私は部活の後輩に呼び出された。彼女も私のファンの一人だ。

「先輩」

 彼女の唇は震えていた。

「私、先輩のことが好きです」

 ええ、知っているわ。痛いほどに。

 でも私は残酷にも、彼女のことを恋愛対象として見ることはできなかった。「どうして両想いになれないの」なんて私は叫んでしまいたくなった。

 唇をきつく結んで、それからお得意の演技で笑顔を作った。

「ありがとう、嬉しいわ」

 私は知らない振りをした。恋を知る前の私。あなたは冗談で言っているのでしょう? という目で。

 彼女が走り去っていった後、私はその場で泣き崩れた。好意を向けられることが怖くてたまらなくなった。それだけのたくさんの愛を無下にして殺していたのだと。

 

 熱狂的だった私のファンたちは、いつしか静かになっていた。

 各々好きな人を見つけたのか、単に飽きたのか。

 私にはそれが丁度良かった。

 

 大人になった今だから笑い話にできる、私の幼い自慢話。

 

   □

 

「慰めてくれているのかしら?」

 アヤカさんのやつれた目元はそれでも美しかった。

 拭ってアヤカさんの人指し指に乗ったしずくは、音をたてずにカウンターに落ちて沁み込んだ。

「僕に女性のコイゴコロは分かりませんが、ツラく、苦しいものなのは知っていますよ」

 何故か、とは言わないけれど。

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