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十二月二十四日は何の日かと問われると、推しの誕生日と答える。それが私たちアイドルオタクの定番で、だからまさかデートに誘われるとは思っていなかった。
いや、彼氏なのだからデートに誘うだろう。なんたって世間ではクリスマスイブ。恋人たちの日。私がいくらカラオケで「ベイビーアイラブユーさよならだね ひとりきりのクリスマス」と熱唱したところで今年は二人のクリスマス。いつもなら、四人のクリスマス、なんだけどなあ。
憂鬱な気持ちでカレンダーをめくった私、相原滴は専門学校を卒業して、今は歯科医院で歯科衛生士として働いている。彼は歯科医院の隣にある調剤薬局の薬剤師で、小坂井昌さんという。私より五つ年上で、全然アイドル顔じゃない。そこがいいんだけど言わないことにしている。観賞用と実用は違うじゃない? 毎日の生活の中に推しがいたら間違いなく死ぬ。たぶん何らかの方法で死ぬ。心臓発作とか呼吸器不全とかそういうやつ。
話がそれたけど、私が抱えている問題は二つ。クリスマスデートに気が進まないことと、まだ私に彼氏がいることをお兄ちゃんたち三人は知らないのだ。
昼休み、昌さんからLINE。
〈クリスマス、ホテルのディナー予約取れたよ。他に行きたいところはある?〉
間違ってもクリスマスライブの京セラドームなんて言ってられないので〈プレゼント選んで欲しいから一緒に買い物行きたい〉と返す。
緑色に埋め尽くした祭壇の前で尊さを満喫したいとか中華料理食べたいとかそういうことからはいい加減卒業しなきゃいけないわけで。
でも、渚先輩のご飯が、やっぱりいいなあ。
〈じゃあ駅前の商業ビル行こっか。僕からも何か選んであげるよ〉
〈ありがとう〉と手短に返信して弁当箱を開いた。冷たいご飯。誤魔化すようにインスタントの味噌汁付き。あったかいご飯が食べたいな。
お兄ちゃんは大学を卒業して自動車関連の職に就いた。あのお兄ちゃんのくせにいいところに入ってしまってなんか悔しかった。渚先輩は変わらず舞台の美班をやっている。後輩が入ってきて指導が楽しいという。お兄ちゃんと渚先輩はお兄ちゃんの就職と共に同棲を始めた。変わらずあのマンションだ。華さんは大学を六年で卒業してイラストレーターとアルバイトのかけもちをしている。この前、華さんが女性誌のインタビュー記事になっていたのは驚いた。注目の若手作家らしい。広告にもたまにイラストが使われている。
みんな前に進んでいくなあと思う。私も就職したし、子どもじゃいられない。
いつまでもあの頃のように四人で、なんて続かないのだろう。
昌さんと付き合っていること、まだ誰にも言えていない。この四人の関係を壊してしまいそうで、怖くて、言えない。
まず華さんは私に振られている。言えるはずがない。祝福はしてくれるだろうけど絶対影で泣く。うぬぼれが過ぎるだろうか。
お兄ちゃんはなんか腹立つから嫌だ。生理的嫌悪感。多分「ふーん」くらいの反応。どんな反応が欲しいのかはよく分からないけれど。
渚先輩は、多分一番親身に聞いてくれる。気遣いの人だから苦労させちゃう気がする。けど、この中で一番頼れるのは渚先輩だ。
よし、とLINEで渚先輩の個人ルームを開いた。
〈渚先輩、お話ししたいことがあるのですがお時間いただけませんか? できれば、お兄ちゃんのいない日で〉
平日ならお兄ちゃんは仕事ということで、歯科医院が午後休の水曜日に渚先輩の家に向かった。今はお兄ちゃんの家でもある。兄の家に行く分には昌さんも何も言わないだろう。
「滴ちゃんいらっしゃい」
青いセーター姿の渚先輩は伸ばした髪を明るいミルクベージュに染めてハーフアップにしていた。美術の道の人って感じの見た目だ。
「お邪魔しまーす」
入っていくとほかほかの煮込みハンバーグにアボカドの入ったサラダが並んでいた。パンをトーストするか聞かれたのですると答えた。
「んーっ、やっぱり渚先輩のご飯は最高です」
「それはよかったぁ。冬は煮込みたくなるんだよね。形がなくなっていく野菜たち見てるのが楽しくて」
「渚先輩も変なとこありますね、癖(へき)というか」
私がクスクス笑うので、元気そうでよかった、と渚先輩は呟いた。
「話したいことがあるって言うから落ち込んでるのかと思って」
「そういうんじゃなくて、その……あは、恥ずかしいな」
私がひとりごちていると何々??と渚先輩が身を乗り出した。
「その、私、彼氏ができまして。で、お兄ちゃんは面倒くさそうなんで渚先輩に報告に来ました」
「そっかー! おめでとう!」
確かに零くんは面倒くさそうだね、と渚先輩もクスクス笑ってた。
「彼氏ができたのは、まあ、うれしいんですけど……その、オタ活に理解がないというか、オタクであることまだ言えてなくて」
「なかなか言えないと思うよ。僕たちはコンサート会場で出会ってるからカミングアウトもなにもなかったけど、彼氏が推しに嫉妬とかよく聞くし」
「推しに嫉妬って意味分かんないですよね。キリスト教徒の彼女がいたらキリストに嫉妬するのかって話ですよ」
渚先輩は軽く吹き出して「言えてる」と笑った。
「お兄ちゃんはオタ活に対して何か言わないんですか?」
「なーんにも。あんまり関心がないみたい。でもたまに『この曲いいね』とか呟くから嫌いではないみたいだよ」
「相変わらずコミュ障ですねうちの兄は」
「そういうところも含めて零くんだからね」
「そういうところも含めて好きなんですね」
渚先輩は満面の笑みで「そういうこと」と答えた。
「で、今一番困ってるのは、もうすぐクリスマスじゃないですか。バースデーじゃないですか。私はここ十数年中華料理を食べてきたのにホテルのディナーデートに誘われてて……推し活より大事なのは分かってるんですけど、なんか乗り気になれなくて」
僕がクリスマスに中華を出すのも要因だね、と苦笑した後、それは初めてのことで緊張してるからじゃない? と渚先輩は続けた。
「緊張、してます。正直何着ていけばいいのかも分かんないし、急に大人の世界というか、こわくなっちゃって。毎年四人で過ごしてたからどうしていいのか……変わることが、怖いです」
「ずっと四人の世界だったもんね。でも他の人とも関わって生きていくものだし、雫ちゃんにもたくさん恋して欲しいと思うよ」
私はゆっくり口を開いた。
「……華さんは、どう、思いますかね」
「華ちゃん、華ちゃんはきっと大丈夫だよ。きっとあっけらかんとしてるはず。拗ねたりするような子じゃないから」
「でも、傷付けないかなって。私まだ後悔してるんです。酷い振り方しちゃったんじゃないかって。もっと優しくできたんじゃないかって」
「滴ちゃんはもっと自分に優しくなろう? 大丈夫だよ。華ちゃんは強いから。ホントのこと言うと、たぶんその日だと思うけど、急に僕の家に来て一晩中めそめそ泣いてた。でも朝になったらすっかり元気で、切り替えの上手い子だと思ったよ。感情爆発させることが彼女のエネルギーだからさ」
「泣いちゃったんですね」
「泣くのは悪くないよ。大丈夫」
渚先輩に頬を撫でられた。微笑みは暖かくて、シトラスの香りがした。
「滴ちゃんが恋をしたって誰も責めたりなんてしないよ。だから、僕たちのことは気にしないで。今日頼ってきてくれてありがとうね」
あったかい煮込みハンバーグ。なめらかなアボカドのサラダ。香ばしいトースト。あったかい、渚先輩の笑み。
「こちらこそお話聞いてくださってありがとうございました」
それからコンサートDVDを一緒に見てたらお兄ちゃんが帰ってきた。
「何しに来てたの?」と聞かれたので「オタ会」と答えておいた。
クリスマスイブ当日。持っている中で一番上品に見えるワンピースに、スエードのコートを合わせた。カバンは一番小さなクラッチバッグ。髪はアップスタイルにセットして、メイクも仕事のときより鮮やかな色使いにした。赤いリップスティックは去年、華さんに貰ったものだ。「もらったけどあたし化粧しないから」ってくれたけど本当は新品を買ってくれたのだと気付いてる。
昌さんと金時計の下で待ち合わせをして、そのままエレベーターで上がって商業ビルでお互いのクリスマスプレゼントを選んだ。おそろいの革製の名刺入れにした。
さらにエレベーターであがって予約していたレストランでフレンチのコースを食べた。お店でフレンチは初めて食べた。味はよく分からなかった。お店の中が静かすぎて何を話せばいいのかも分からなかった。喉が渇いてシャンパンばかり煽ってしまった。
お店を出るころには少し足もとがおぼつかなくなっていた。
「ごめんなさい、飲み過ぎちゃって」
「緊張してたよね。ごめんね、不慣れなことさせちゃって」
昌さんは優しい。優しいけど、どこか一方通行で。
「上の階に部屋取ってあるから行こうか」
「え?」
「嫌、だった?」
正直歩いて電車に乗れそうになかったので大人しくついていくことにした。
ホテルからの夜景は眩しいほどだった。
電気をつけることなく、光の海の中で私は抱かれた。
初めての行為ではなかったけど夢見心地で、目が覚めたとき酷く虚しかった。
泊まるなんて聞いてなかったから化粧品も最低限しか持っていなくて、シャワーを浴びてアメニティと赤いリップスティックで誤魔化して化粧直しをした。
昌さんはまだ寝ていた。お兄ちゃんと渚先輩の間くらいの身長。細い身体。薄いすね毛。愛おしいけれど、他人だ。
私はそっと部屋を出た。涙が落ちそうだった。何かが噛み合わない。好きでいたいのに、どこまでも他人でしかいられない。好きなものも言えない。嫌なことも言えない。
――だって、嫌われたくないから。
クリスマスの朝の空気は澄んでいた。駅構内のパン屋で朝食を済ませてから真っ直ぐ渚先輩の家に向かった。
渚先輩は何も聞かず「いらっしゃい」と出迎えてくれた。
「お兄ちゃんは?」と聞くと「朝ご飯食べてから二度寝」と言うので私は小さく吹いて笑った。
「それで、デートはどうだった?」
「正直、楽しくなかったです。緊張しっぱなしだし、好きなものの話もできないし、渚先輩たちのことも言えないままで」
そうだねえ、と渚先輩は腕を組んだ。
「僕たちみたいに男同士のカップルが同棲していて、それが兄だってなかなか言えないよね。滴ちゃんが理解してくれてるのは分かってても、世間的にはまだマイノリティだからさ」
「彼はあんまりセクシャリティとか詳しくないみたいで、どんな反応されるのか怖いっていうのが、正直やっぱりあります。先輩たちに失礼なこと言わないかなって怖くて」
「僕たちが負担になってたね、ごめんね」
私はぶんぶん頭を振った。
「いいえ、そんなことはないんです。問題は私にあって。言いたいことも言えないカップルなんてやっぱりダメですよね。嫌われたくないが勝っちゃって、素の自分が出せないままで」
よし、と渚先輩が思い立つ。
「滴ちゃん、さっきからスマホ鳴ってるけど」
「彼からずっと電話かかってきてるみたいで」
「ちょっと僕に貸して?」
「はい?」
「いいから」
おずおずと震えるスマホを出すと、渚先輩はなんと電話に出た。
「もしもし。はい、はじめまして、僕は滴の兄の渚です」
とんでもないことになってしまった。
昌さんがこっちに向かってるらしい。
渚先輩に会うの? というかお兄ちゃんもいるよ?
この事態をどうするかぐるぐる考え続けていた。お兄ちゃんと同じ癖だ。
でもって、渚先輩が、お兄ちゃん……お兄ちゃんのパートナーなのだからお兄ちゃんで合ってるとは思うけど、憧れの先輩がお兄ちゃんってなんか変な感じだ。
昌さんにはLINEの文面で家の住所を送り、勝手に帰ってしまったことを謝った。
〈滴さんを傷付けるようなことをしてしまった僕が悪いから〉と昌さんの文面は濡れていた。
〈お兄さんは一人暮らしなの?〉と昌さんに聞かれたので〈ううん、同棲中〉と返すと〈そっかあ、彼女さんにも迷惑かけちゃったかな〉と返ってきた。
そうだよね、普通彼女だと思うよね。
私は暗い気持ちになる一方だった。
昼前に昌さんは渚先輩の家に着いた。エントランスまで迎えに行くと「えらい立派なマンションだね」と昌さんは感嘆していた。
「今朝はごめんなさい、私……」
「こちらこそごめん。お兄さんに叱られてこなくっちゃね」
白い歯を見せた昌さんは、ほんの少し魅力的に見えた。
渚先輩は食卓に中華を並べていた。回鍋肉と水餃子、チャーハンにトマト入り棒々鶏。
「いらっしゃい。急に呼びだしてごめんなさい。兄の渚です」
渚先輩と私を見比べて昌さんは少し戸惑っていた。私たちは全然似ていない。身長も同じくらいか私の方が高い位だし、目鼻立ちも違う。それもそうだ、血は繋がっていないのだから。
「初めまして、お兄さん。今朝は失礼しました」
「まあまあ、まずは昼ご飯にしましょ。零くん起こしてくるね」
勧められるがままに食卓に着かされた昌さんの頭の上には疑問符がたくさん浮かんでいた。
「零『くん』って?」
「そっちもお兄ちゃん」
「も?」
「というか、そっちがお兄ちゃん」
余計疑問符が増えた気がするので面白くなってそのままにしてみた。
「あれ、滴なんでいるの」
「お兄ちゃん寝過ぎ。あと髪の毛爆発してるの直してきて」
「いいじゃん家なんだし」
「横見て横」
「……誰?」
「というわけで寝癖直してこいモサお兄ちゃん」
一連の会話に余計訳が分からなくなった昌さんが切り出す。
「あの、お兄さんたち二人で暮らしてるんですか?」
渚先輩がふふ、と微笑む。
「さっきの零くんが滴ちゃんの本当のお兄さんで、僕はそのパートナーだよ」
「パートナー、というのは?」
「僕たち男同士のカップルなんです。もう付き合って六年になるかな」 昌さんは豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「あっ、はい、そういうの、本当にあるんですね……初めて見たもので、すみません」
「大丈夫ですよ、大体驚かれますから」
零くーん、髪の毛直した-? と渚先輩が呼びかけると、なんとかー、と返ってきた。
お兄ちゃんがダイニングに戻ってくると、まじまじと昌さんを見た。よそ行きのしっかりしたスーツ姿の男の姿に驚いているようだった。
「……滴、弁護士が必要な案件にでも巻き込まれたのか」
「なんでそうなるのバカ兄貴」
「じゃあ誰?」
「彼氏」
「……なるほど?」
「お兄ちゃんにしては理解が早くて助かった」
お兄ちゃんも席に着いて昼食に中華を食べる。
「変わってますね、クリスマスに中華なんて」
昌さんが切り出す。
「我が家では毎年中華だよ。ね、滴ちゃん」
「はい、クリスマスは中華って決まってますから」
へぇーと昌さんはそれ以上深く聞かなかった。
渚先輩のご飯はやっぱり美味しくて、ちゃんと味を楽しめた。あったかくて、幸せで、自然と口角が緩んでいた。
「なんか悔しいなあ。滴さんがこんなに嬉しそうにご飯食べてるの初めて見ました」
「そりゃ渚のご飯は美味しいから」
「お兄ちゃんってホント分かんないんだね」
「なんだよ」
「分からなくて結構でーす」
昌さんがクスクス笑っていた。
「兄弟仲もよくていいなあ。僕、一人っ子だからこういうの全然知らなくて」
「仲いいの? これ」
「めちゃくちゃいいよ。たぶんね」
「渚お兄ちゃんとは仲良しなんだけどなあ」
零お兄ちゃんがぴくっと反応する。
「いつからお兄ちゃん呼びなんだよ」
「いつだっていいでしょ。お兄ちゃんのパートナーはお兄ちゃんの法則」
「僕は滴のこと妹だと思ってるよ」
「いつから呼び捨てなんだよ」
「いつだっていいでしょ。パートナーの妹は妹の法則」
私と渚お兄ちゃんは顔を見合わせて笑い合った。
「なんか羨ましいなあ。家族ぐるみで仲良しのカップルって」
「ふふ、自慢のお兄ちゃんたちだからさ」
「ちょっと妬けるかも」
「ずっとね、紹介したかったんだ。だから怖かったけど紹介できてよかった」
「素敵なカップルだと僕も思うよ。これからもどうぞよろしくお願いします」
昌さんが深々と頭を下げる。
「こちらこそ」とお兄ちゃんたちも答えてくれた。
やっぱり渚お兄ちゃんには敵わないなあ。大好きなお兄ちゃんだ。
マンションの呼び鈴も鳴らさずに合い鍵でずかずかと入ってきた女性の姿があった。
「あっれー? あたしの席がないんだけど誰この男。吊していい?」
「華ちゃんせめて呼び鈴は鳴らして。あと初対面で吊さないで」
まーた面倒くさいことになりそうな予感に私はこめかみを押さえた。
「どうもー、滴っちの嫁です」
「華さん、嘘は辞めてください」
「もー、あたしと滴っちの仲じゃないのー世の中の男共全員燃やし尽くすまであたしは戦うからね」
「なんの話ですか」
「そこにいるの滴っちの彼氏でしょ」
私がぎくっとすると「やっぱりね」と華さんは悪い顔をした。
「滴っちを泣かせたらあんたのはらわたがはみ出た絵を描いて渋谷の109に全面広告出してやるから覚悟してなさいよ」
「あくまで絵なんですね」
「だってクソ男のせいで逮捕されたくないし」
昌さんは何が何だかといった様子で大笑いし始めた。
「滴さん、いい人たちに恵まれてるね」
「うん、そうなの。すっごくいい人たちだよ」
自慢の私の家族たちなの。
昌さんも家族に、なれるのかな。
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