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青嵐吹くときに君は微笑む 06

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 食後、酒本先輩は滴をこっちこっちとリビングの戸棚に呼んだ。俺は雪の六角模様が描かれたこたつの中に入る。戸棚の上の男二人に挟まれた先輩の写真。一人は背が低く色白で、もう一人は体格のいい強そうな人だ。あれがどうにも引っかかったが、目の前には木製のお皿に乗ったマドレーヌをいただくことにした。これも手作りなのだろうか。

「開けてみて」

 観音開きのその戸を開けると、滴はひゃあん、なんて奇声を上げていた。

「なになに」

「お、お兄ちゃん、歴代コンサートのDVDどころかファーストコンサートのVHSまで全部揃ってる……」

 戸棚を覗くとずらりとそれらは並んでいた。コンサートだけではなく出演映画やドラマのディスクまであった。この人、すごい。

「どれを見ようか。滴ちゃんはどれがいい?」

「んーここは十周年記念コンサートがいいです!」

「ふふ、あれ素敵だもんね」

 人々が会場に集まる。ドームよりさらに多くの人々が。そして、物語の始まりを告げるビデオに人々のボルテージは最高潮に達した。

 こたつの中で、先輩は何故か滴から離れて俺の近くに座っていた。

「そういえば、自己紹介していなかったね」

 彼らの歌声をバックに酒本先輩が切り出す。

「酒本渚です。県立の美術大学でデザインを学んでいます。零くんとは高校で部活が一緒だったね。担当はリーダーです。どうぞよろしくお願いします」

 先輩は左右の俺たちにそれぞれ頭を下げた。ふわりと甘いシトラスの香りがする。

 ピリピリする緊張の中、息を深く吸って、話し始める。

「じゃあ、俺は相原零です。高校二年生です。酒本先輩と同じバスケ部です。この前のコンサートは、その、感動しました。あんなに輝いている人が目の前にいるなんて信じられませんでした。よろしくお願いします」

 そっかそっか、と先輩は俺に笑いかけた。

「お兄ちゃんもついにアイドルの良さが分かってしまったか」なんて滴に言われたが、エンターテイナーとして感動したのは事実だ。今もテレビから流れてくるコンサート映像に、ペンライトの星の海の中を泳ぐ彼らと音楽に心が躍って仕方なかった。

「最後は私だね。相原零の妹の相原滴です。お兄ちゃんと同じ高校の一年だから酒本先輩の後輩にもなりますね。担当様は私もリーダーです。アイドル好きの友達が少ないので酒本先輩と知りあえて嬉しいです。よろしくお願いします」

 滴が先輩の手を掴むと、先輩は犬に噛まれたかのように手を引いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……なんでもない、よ。うん」

 両手で震える身体を抱きしめた先輩の滴に笑いかけるその声は、なにかおぞましいものに胃を掴まれたように震えていた。

「先輩、大丈夫ですか?」

 俺は慌てて先輩の震える肩を掴む。浅い呼吸を飲み込んで、酒本先輩はまた笑う。

「うん、大丈夫、ちょっとびっくりしただけだから。ね、ほら、リーダーのソロ曲だよ。このドラマも面白かったよね」

 画面に流れる非日常はどこか寂しくて、自己紹介だけでは語り切れない「酒本渚」という人物が何者なのか俺たちに疑問を残すだけだった。

 

「滴ちゃん、いいもの見せてあげるからこっちおいで」

 先輩お手製のマドレーヌをこたつで食べ終わるころには、コンサートDVDも終わっていた。わーとかキャーとか叫んでいたドルオタ二人が十周年の感動的なコメントに泣いていたが、みんなこんな感じなのだろうか。情緒豊かすぎだろこの人たち。

 先輩は宝箱のようにリビングのこたつ横の引き戸を開ける。

「これって」

「うん、僕の秘密基地」

 滴は感極まってその部屋に吸い込まれる。

 文字にならない声を上げて滴は飛び跳ねていた。

 何事かと立ち上がろうとしたが、こたつでのぼせたのか一瞬の眩暈に襲われる。しかしなんとか立ち上がって先輩の秘密基地に足を踏み入れた。

 壁中に彼らのポスター、彼らの顔写真の団扇、アクリルの戸棚にはペンライトをはじめとしたグッズ。本棚にはパンフレットにファンクラブ会報のバックナンバー、そして大量のアルバム。

「すっげえ」

 先輩の「好き」が詰まった部屋に俺は圧倒された。細かく見ていくとポスターごとにやはり年齢の違いが表れていて、彼らも人間なのだということを思い知らされる。

 しかし気になってしまうのはこのグッズ、総額いくらかけているのだろう。訊いたら負けだ。

「これ、まだデビュー前の写真なんだよ」

 先輩が一つアルバムを開いて見せると、そこには若いというより幼い彼らの写真が整頓されて並んでいた。

「す、すごい……リーダーかわいい……」

 言葉を無くす滴の横に俺もしゃがむ。幼い顔立ちに細い身体つき。少年だった彼らは国民的大スターにまで昇りつめた。この写真が撮られたとき、一体誰がそんなことを思っただろうか。

「あっちの棚には歴代のペンライトがあるんだよ」

 そう言われて立ち上がった瞬間、俺の視界が渦を巻いて、ストン、と落ちた。

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