オリジナル小説サイト「渇き」

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青嵐吹くときに君は微笑む 07

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「んん……」

 目を覚ますと、シトラスと太陽の香りがするベッドの中に居た。頭の中で誰かが鐘を叩いているような痛みとベッドに沈み込む身体の重さに驚く。

 見渡すとシンプルに片付けられた寝室だった。クローゼットと机とベッド。カーテンの色はくすんだネイビー。もう日が傾き始めていて薄暗い。

 壁にクリーニング済のビニールのかけられたスーツがかけられている。サイズがどう見ても酒本先輩のものじゃない。それと、机の上にはくたびれた紙煙草と使い捨てライターがあった。ここは、どこだ?

「零くん起きたかな?」

 酒本先輩は水のペットボトルと体温計を持っていた。

「先輩、俺」

「零くん、酷い熱で倒れたんだよ。多分だけど、滴ちゃんからインフルエンザ貰っちゃったんじゃないかな? ごめんね、僕のベッドに寝かせちゃって」

 はい、お水飲んで、とペットボトルを渡される。飲みながら体温を測ると三十八度六分だった。これはインフルの可能性がある。

「今タクシー呼んでるから、今日はゆっくり家で休んでね。明日病院行っておいで」

 ありがとうございます。と答えて、ぼんやりした頭で問う。

「先輩って煙草吸うんですか?」

「吸わないよ。あそこにあるのは、元カレの」

「そうでしたか」

 これ以上の言葉は見つからなかった。先輩に刺さった棘を抜くのは誰だろう。

 

「バカお兄ちゃん! もう、ベッドまで運ぶの大変だったんだからね! 調子悪いなら言ってよ」

「ごめんごめん、自分でも気づかなくて」

 タクシーの窓から見送る先輩に手を振って、帰路に着く。

「ねえ、お兄ちゃん」

 滴は前を向いたまま、言う。

「私、酒本先輩のことが好き」

「アイドル好きだから?」

「違う。酒本先輩、私に触れられてとても怯えていた。誰に対してかは分からないけれど、私にじゃない誰かに『ごめんなさい』を唱え続けていた。だから、私、この人を守りたい」

「そっか」

 熱で回らない頭で妹の告白を聞く。その意味が分かるのは、もう少し先のこと。

 

「お兄ちゃん何着ていこう!? 甘めのワンピースだと狙いすぎ? でもズボンじゃ可愛くないし……うーん、もう分かんないよう!」

 今日は酒本邸訪問の次の土曜日。LINEで酒本先輩とのデートを取りつけた妹の滴は朝から騒がしかった。

 そして俺はインフルエンザで寝こんでいてすっかり忘れていたが、酒本先輩は男性とお付き合いするタイプの人間だった。いや、男女両方いける可能性もあるが、そうじゃなかった場合、滴は問答無用でフラれるわけだ。これを言い出すか言い出さないかは非常に迷うところがあるが、先輩のプライバシーを勝手に漏らすのも人としてどうかと思うので言わない。言わないけど、俺の可愛い妹は非常に勝算の低いデートをするわけである。

「お兄ちゃんだったらどんな服の女の子とデートしたい?」

「とりあえずあったかくして行け、今日は冷えるから」

「お洒落は我慢なのー! お兄ちゃんのバカ!」

 滴はそもそも俺の意見など聞くつもりはなく、一人で騒いでいるだけなのだ。

 が、俺も落ち着かないものがある。

 そもそも酒本先輩は女性と二人で行動しても平気なのだろうか? あんなに怖がっていたのに。どんなデートになるんだ?

「あー、もうこんな時間! 行ってきます!」

 嵐のように騒がしい妹の背中を見送った。さて、どうなることやら。

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