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長い昼下がりが終わり、世界は夜の街に変わった。
ただいま、といつもより明るい声色を繕って引田は帰宅した。自室から出迎えてくれたシャルを抱きしめると甘い香りが引田の本能をくすぐった。
「シャル君、今日は君の好きなプリンのお土産だよ」
シャルの輝いた瞳を見て、引田は喜びと罪悪感で胸がいっぱいになってしまった。
引田は昼休み、ある男に電話をかけていた。
「やっぱりやっちまったか」
シャルの美貌に屈しなかった男はいないと電話越しの男はそれみたかと嗤う。笑い事じゃないと引田は続けた。
「どうしたら彼を幸せにできるか分からなくなってしまったよ」
「そんなこと俺が知るか。ったく、二日で泣き言言いやがって、それでも社長様か?」
相変わらずの横柄な口ぶりに引田は苦笑する。
「お前が面倒見るって言ったじゃないか。俺が言えたことじゃないが、親なら悩め。いっぱい悩め。それが愛ってもんだろ?」
「まさか君に愛を説かれるとは思わなかったよ」
まったく、誠司には敵わない。
リビングのソファーで嬉しそうにプリンを食べるシャル。惜しむように小さな口で少しずつ。カラメルと生クリームが絡んだカスタードプリンを大切に食べる姿に本来の子供らしさを垣間見ることができた。
「シャル君、話があるのだがいいかね?」
シャルの手が止まる。見開かれた瞳は不安に揺れ、そして諦めたように笑った。
引田はソファーの前に跪いて、シャルの手を握る。
「シャル君、私の家族になってはくれないかい?」
彼の手から落ちたスプーンがメープルの床の上を跳ねる。
「君を養子にとりたい。学校にも通わせて、この世界のことを知ってほしいと私は願っているけど、どうかね?」
「嫌だよ。学校なんて行けるわけがない。ヨウシのことはよく分からないけど、僕は、次は誰に買われるの? 引田さんがガッカリしたらまた捨てられるんでしょ?」
「そんなことないよ。私はシャル君と生きていたい。少し愛情表現を間違えてしまったけれど、君の家族になりたいんだ」
シャルの瞳から大粒の雫が頬を伝う。それは流れるままにシャルは拭おうともしなかった。
「私はシャル君、君のことを愛している。それは変わらないよ」
「待って、引田さん。僕は、商品だよ。引田さんに買われたモノなの。そんなことを言われても信じられるわけないじゃない。セックスしたくせに。僕を貪ったくせに。セックスしたことが間違っていたの? 分かんないよ。僕にはこれしかないのに。」
シャルの言葉は嗚咽にさえぎられて続かなかった。引田はシャルを抱きしめ、背中をさすった。
「すまなかった。君に触れたいと思ってしまったんだ。君を苦しめると分かっていたはずなのに」
シャルはどうしたら引田に応えられるのか、捨てられないでいる方法が分からなかった。愛されても、自分が愛せなかったらいつか見捨てられると潜在的な恐怖心が頭を埋めた。
「僕はどうしたらいいの……空っぽな『シャル』なのに。どうやって僕は引田さんに応えたらいいの?」
「そうだな、これが正しいのかは分からないけれど、キス、してくれないかい?」
飼い主が望むなら、とシャルは唇を寄せる。柔らかな唇が合わさる。甘くない、無味なキス。そのはずなのに、シャルは胸の中が熱で満たされる。熱い舌が唇を割り、口腔で絡み合う。どんな客とも違う、慈しむような口付けだった。
「キスは一人じゃできない。暴言を浴びせ、噛みつくことだってできる口を合わせる。それがどれだけ優しいことか知っているかい?」
「引田さんも、性しか知らないんだね」
シャルはやっと涙を拭って笑った。
「私と一緒に愛を知ってはくれないかい?」
二人はどちらからでもなく、何度も口付けを交わした。
引田とシャルは初めて、セックスをしないで同じベッドで眠りについた。自室で寝ればいいのにと引田は言ったが、シャルは一人で眠りたくはないと拒んだ。腕の中で眠るシャルの瞼に、引田は小さくキスをした。
それから一週間の月日が流れた。
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