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シャルが目を覚ますと、広いベッドの隣には誰もいなかった。
昨日のことが夢ならいいのにと周りを見渡してもそこは北原と暮らした雑多なアパートではなく、高級そうな家具が整然と並んだ知らない一室だった。小鳥の囀りがひどく寂しく、清潔すぎる空気に呼吸するのも億劫になる。身体を起こすと、ベッドのサイドテーブルに着替えと思われる服が一式綺麗に畳まれて置いてあるのを見つけたが、シャルはその中から黒いポロシャツだけを身に付けた。
誰もいない。この世界には誰も。黒いポロシャツの裾が真っ白な太ももを覆う。闇の中で生きていたシャルには眩しすぎるコントラストだ。メープルの明るい床に窓の外で揺れる木々の木洩れ日が反射する。酷く寂しい朝だった。
シャルが二階のダイニングへ入ると、キッチンからカラメル色のきのこ頭が顔を出す。彼はおはようございます、と言いかけたが、シャルの姿を見て大げさなくらい顔を真っ赤にして目を背けた。
「何」とシャルがそっけなく問う。
「その、下は履かないのですか? 僕にはその、刺激が強いというか、シャル様の御脚を見たと旦那様に知られたら僕がこっぴどく怒られます」
そばかすの目立つ頬を真っ赤にして目をきつく閉じている萩野のことが可笑しくて、シャルは萩野の前に立ち「萩野さん」とポロシャツの裾を指でつまんで持ち上げた。
「きゃっ! 見ていません! 僕は何も見ていませんよ!」
慌てふためいて手で目を覆う萩野が非常に愉快で、シャルはけらけらと笑った。からかい甲斐のある人もいたものだとシャルは味をしめる。
「冗談だよ。萩野さん、ごはんは?」
「はい、準備できています。今、お出ししますね」
広いダイニングテーブルの端にシャルが腰掛けると、萩野が手際よく皿を並べる。焼いた鮭の切り身に何かの菜の和え物、白米に味噌汁にお漬物。これだけの品数を一度に食べたことがなかったシャルは食べきれるのかと不安になるがとりあえず味噌汁に手を付ける。
「お口に合えばいいのですが」
萩野はそう言ったが、可もなく不可もなく美味しい。インスタントのものとは違って具材のジャガイモと玉ねぎが柔らかく、甘くてしょっぱくない。
「引田さんはどこへ行ったの?」
白米を口に運びながら、シャルの横に立つ萩野に尋ねた。
「旦那様は、今日は工場の視察と取引先との会食です」
「シサツ? 社長さんのお仕事?」
「はい、その通りでございます。昼食と夕食は僕たちだけで済ませるようにと仰せつかっています」
「ふーん。夜まで帰ってこないんだ」
シャルは鮭の切り身を箸でぼそぼそとつつく。夜まで何をすればいいのか分からない。
「萩野さんのごはんは?」
「僕はもう朝食をいただきました。失礼ですが、もう十一時ですよ」
まだ午前なのか、とシャルは溜め息を吐いた。夜の世界を生きてきたシャルにとって午前に起きることは少なかった。
「お昼は遅い時間にしましょうか。旦那様からシャル様の必要なものを買いに行くように承っております」
「必要なもの? 僕は何も要らないよ」
「着替えや靴、好きな本を選んでくるようにとのことです」
「ふーん」
食べ終わったシャルは椅子の上で膝を抱いた。冷たい膝に頬を乗せて萩野が食器を片付けていくのを見る。
「萩野さんって童貞?」
食器が流しに音を立てて落ちる。あまりの動揺にシャルはクスリと笑った。
「ななな、なんてこと訊くのですか」
食器を洗いながら俯いて萩野は訊く。
「だって反応がいちいち童貞っぽい。しかも男の脚を見て恥じらうなんてね。なんなら僕が卒業させてあげようか?」
シャルは立ち上がって萩野の腿を人差し指でなぞる。萩野は身体をぞわりと震わせて耳まで真っ赤にしていた。
「萩野さん、反応いいね。もしかしてゲイだったりする?」
「やぁっ、やめてください。旦那様に知られたら僕クビになります」
「じゃあ知られなきゃ僕のこと抱きたいんだ」
シャルは赤く熱を持った萩野の耳に歯を立てた。後ろから抱きしめエプロンの隙間から萩野の中心に手を伸ばすと微かだが芯を持って存在を主張している。
「やだぁ、やめてくださいシャル様。僕は、僕は」
「ねぇ、こんなにも時間があって暇を持て余しているんだよ? セックス以外何をすればいいの?」
「シャル様とこんなことをしていると知られたら本当にクビになってしまいます。どうかやめてください」
「こんなにパンツをドロドロにしておいてよく言うよ、萩野さん。本当は男に抱かれたかった?」
萩野はその言葉に泣きだしてしまった。大粒の熱い涙がシンクの食器たちにぼたりと落ちる。
「ふーん。萩野さんも変態だったんだね。好きな人がいるんでしょ?」
「言えません。シャル様だけには言えません」
濡れた手で萩野は涙を拭った。萩野には想い人がいた。でもそれはもう叶うことは無い。シャルがいるから叶わない。この想いを誰にも悟られるわけにはいかなかった。
「さぁ、もうすぐ片付け終わるのでちゃんとお召し物を着てください。買い物へ行くよう言われております」
萩野の想いは酷く虚しいものだった。
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