オリジナル小説サイト「渇き」

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青嵐吹くときに君は微笑む Side girls 桜蘭咲くときに君は囁く

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「はぁあ、リア充共がいちゃつきよって。私に春は来ないのかねー」

「私も彼氏欲しいです。お兄ちゃん爆発してよ」

 酒本邸のリビング。こたつが片付けられたラグの上で女の子が二匹打ち上げられていた。

「こらこら、床で寝ないの。滴、パンツ見えるぞ」

 俺が注意しても「どうせお互いのパンツ見せ合ってるんだろバーカ」と力のない罵声が飛んでくる。失礼な。見てるけど。

「はーい、今日のおやつは桜餅ですよー」

 食べる! と先程まで機動力皆無だった二匹が飛び起きる。やはり先輩のご飯の力はすさまじい。

 淡い紅色のお餅に包まれた先輩自家製の餡。モチモチで、少ししょっぱくて、春の香りがする。もうすぐ短い春休みが終わろうとしていた。

「みんな進級おめでとう。華ちゃんもね」

「あはー、単位ギリギリだったけどね」

 扇田さんが頬を掻きながら笑う。大学生らしい会話だ。

「そういえば華さんと渚先輩ってどこで知り合ったんですか?」

 やわらかなお餅を咀嚼しながら滴が問う。

「んー、あれはもう何年前だったかねぇ。あたしが高校を卒業して美大専門の予備校に入ってからだね。ナギちゃんは高校通いながら来てたんだっけ」

「うん。父が亡くなってから敦さんの勧めで入ったんだよ。バスケも楽しかったけど、夢のために部活をやめる決意した。デッサンとか造形とかいろいろやったね」

「よく分からない瓶のデッサンとかさ。でも、必死だったよね、お互い」

 顔を見合わせて微笑みあう二人が羨ましくて、俺はもう一つ桜餅を手に取った。

「あたしはさ、高校生のとき、好きな人がいたんだ。美術の先生でさ」

勿論、女ね。と扇田さんは付け加える。

「それはもう丁寧に教えてくれて、クラスメイトが誕生日だと朝、黒板にイラストを描いていてくれるような人で。それで愚かな私は、先生に告白しちゃったんだ。そしたらなんて言われたと思う? そういうことは軽々しく言わない方がいいよ。って、あたしの恋心全否定。先生と生徒だから、とかじゃなくて、同性同士だからいけなかったというようにあたしには聞こえたよ」

 いつも通り、扇田さんは歯を見せて笑ってみせた。

「失恋ついでってわけじゃないけど、同性愛は隠さなきゃいけないんだってあの頃のあたしは思っていて、親にも何も言わずに家を出た。そして先生と同じ美術の道に進むために予備校に入った。親からの援助は一切ないから生活費と学費を昼間と深夜のバイトで稼いで、夕方は予備校って生活をしていたんだ。そんな生活続くと思う? 案の定過労で予備校でぶっ倒れたわけ。そこに居合わせたのがナギちゃんだったの」

 大変だったんだから、と渚先輩が笑う。

「あたし、あのときご飯を殆ど食べてなくて、ナギちゃんが夜ご飯の弁当を分けてくれたんだよね。それがまあ美味しくてさ。なんだか安心したら泣けてきちゃって。ホント、お恥ずかしい話ですよ。それでさ、もう全部話しちゃえ、ってナギちゃんにあたしがレズビアンだって言ったの。それはまあ結構な覚悟よ? 嫌われるかも。もう話せなくなるかも。予備校中で噂になるかもって。そしたらナギちゃんが『僕も彼氏いるよ』なんて言い出すもんだから、あたしの覚悟返せー、って笑っちゃったよ。それからかな、ナギちゃんと一緒にいるようになったのは」

「殆どご飯食べに来てるだけでしょ」

 ナギちゃんは金持ってるんだからいいじゃない。と扇田さんは先輩の髪をぐしゃぐしゃに撫でた。

「じゃあ華さんは渚先輩の一つ上の歳なんですね」

「そう、大学の学年は一緒だけどあたしが一つ上だね。あんまり気にしてないけど」

「大学は色んな人いるからね」

 そういえばこの前ピンク頭の人いたよねー。なんてこの話は流れていった。

 

 じゃああとは若い二人でごゆっくり、と嫌味たっぷりで扇田さんと妹は帰っていった。

 帰り際、扇田さんに耳元で言われる。

「バイト終わったら店まで来てほしいんだけど」

 そう、LINEのIDが書かれたメモ用紙を隠すように渡された。

 何の話かは分からないけれど、多分、渚先輩には話せないことだろう。

紙を尻ポケットにしまうと、皿洗いをしている先輩を後ろから抱きしめた。

「なあに? 零くん」

 腕の中にすっぽりと収まる先輩のふわふわの髪に鼻を埋めた。渚先輩のシャンプーの香りがする。

「先輩のこと、呼び捨てにしてもいいですか?」

「急にどうしたの?」

 先輩が皿を拭く手を止める。

「ただの嫉妬です。カッコ悪いですか?」

「ふふ、いいよ」

「じゃあ、なぎさ」

「はい、れい」

 耳まで熱を持って恥ずかしさが身体中を駆け巡る。それは先輩も同じようで、耳が赤くなっている。俺は先輩の顎を掴むと、振り向かせて唇を重ねた。可愛い。渚が。

「零くんのえっち」

 潤んだ瞳で見上げられるものだから、もう一度、今度は深く口を合わせた。

「どうせえっちですよー」

 もうっ、手伝う気がないならあっち行ってて、とリビングに追い出されてしまった。仕方なくソファーに腰掛けて、かけっぱなしだった二〇〇八年の国立競技場コンサートを観る。最近気付いたが、俺は彼らの曲中のかっこいいラップが好きみたいだ。研いだ爪隠して牙をむく。なんちゃって。

 尻ポケットから紙を取り出して扇田さんのLINEをID検索する。『haru senda』と出たので多分これで合っている。一言には「可愛い女の子尊い」。間違いなく合っている。トークを開いて「どうも、クソ男の相原零です」と一言送っておいた。自虐が過ぎただろうか。

「零、終わったよ」

「ひゃいっ!?」

ひゃいって何、ところころ渚は笑った。俺の隣に腰掛けて手を握る。流水にさらされた先輩の手は冷たかった。

「不意打ちはずるいよ、なぎさー」

「れいー」

「なぎさー」

 気恥ずかしさと照れと馬鹿馬鹿しさに二人笑った。

 そして見つめ合うと、どちらからともなく抱き合って口付けをした。

 ソファーに渚を押し倒し、首筋にキスをする。

「零、続きはベッドでしよ」

 俺の頬に伸ばされた手のひらに口付けをすると、渚の膝下と首の下に手を回して持ち上げる。小さくて軽い先輩の身体。砂糖菓子みたいな彼を大切にしたいのに、めちゃくちゃにしたいなんて、俺も男ですね。

 

「そういえば、先輩の夢って何なんですか?」

 日の落ちた薄暗い寝室。ミネラルウォーターのペットボトルを片手に、隣で休む渚に尋ねた。

「僕はね、コンサートや舞台の舞台装置とか、テレビの大道具さんになりたいんだ。そのために美大でデザインを学んでいるの。本当は建築系でも良かったんだけど、デザインしてみたかったから」

 そうなんですね、と相槌を打つ。

「僕が大好きなアイドルさんたちが活躍する場所を彩りたい。それが僕の夢。叶うかな」

「叶いますよ。俺が応援しますから。何があっても」

 ありがとう。そう先輩は俺の腰に頭をつけた。

「急にバスケ部止めてたくさん迷惑をかけたと思う。だけど、父さんが好きだったものに触れ続けるのはつらかった。それより、目指すものを考えたかった。自分勝手かもしれないけど、自分のことしか考えられないほどいっぱいいっぱいだったんだ。零くんの腕の中でそう決めたの」

「覚えていてくださったんですね」

「うん。知ってたよ。零くんがずっと見ていてくれたこと」

 急に胸の真ん中が熱くなるようで、自然と引き寄せられるように抱きしめ合った。

 どうかこの時よ、続け。永遠に。

 そのとき、スマートフォンが振動する。見ると、扇田さんからのLINEだった。

「バイトは二十三時に終わるから。スーパーの入り口前にいて」

 絵文字も何もない。そっけない文章だった。

 俺は「了解」と書かれた猫のスタンプを送った。

「零くん、お友達?」

 あれは友達なのだろうか。

「はい、ごめんなさい、急ぎだったみたいで」

 そっか。と渚は布団を被る。俺も一緒に潜って抱き合う。汗で吸いつく肌の感触と、めいっぱい感じる先輩の香りに、胎児に戻ったかのような安心感を覚えた。

「そろそろお風呂入ろっか」

「じゃあ俺、沸かしてきます」

 よろしくー、と先輩は手を上げて見送った。

 お風呂でもう一度盛り上がってしまったのは若気の至りです。

 

 一度帰宅して夕食を済ませて二十三時。

「こんな時間に出かけるの?」と咎められたが、ちょっとコンビニ、が通じる程度の都会に住んでいることに感謝した。

 扇田さんの勤務先のスーパーはもう明かりを落としていた。誰もいない駐車場はどこか非現実的で少しだけわくわくした。

「おっす、クソ男さん」

 今日会ったときと同じ、ジーンズにスタジャン姿の扇田さんがいた。

「話って何ですか」

「まあまあ、ちょっとこれでも飲みながら」

 売れ残りのホットコーヒーを差し出されて、駐車場の柵に腰掛けた。

「実はさ、好きな人ができちゃって」

 思いもよらぬ言葉にコーヒーを吹きそうになった。

「本当は、好きになるつもりはなかった。ただ友達でいれたらよかった。でもさ、『好きになっちゃいけない』って思っている時点で、好き、なんだよね」

 そう語る扇田さんは苦しそうで、その恋が勝算の低いものだと感じさせた。

「誰のことが好きなんですか?」

 それ聞いちゃうかー、と扇田さんは溜め息を吐いた。

「君の妹だよ」

 えっ。

「相原滴。あたしの好きな人。でも、しずくっち、ノンケでしょ?」

「うん、聞いてる限りでは」

 あーあ、と扇田さんが髪を掻く。

「あたし、ノンケを好きになんてなりたくなかったのに。でもそうか、しずくっちがナギちゃんに恋したときも性別を理由に振られてるのか。馬鹿だよね、あたしたち」

 街灯の下で、扇田さんの瞳から輝くものが落ちる。

「俺は、相手がどんな性別を好きかで好きになれるとか、分からないと思います。だって」

――――恋は落ちるものだから。

「けっ、若僧のクソ男のくせにかっこいいこと言いやがって」

 あたしどうしたらいいんだろう。そう、彼女は自分を抱きしめた。

「告白してみたらいいんじゃないんですか?」

「馬鹿なの? それで一緒にいられなくなるくらいなら、あたしは一生黙ってるよ」

「俺の妹は、拒絶しません。俺たちのことも受け入れて、一緒にいてくれる。そんなお人好しなんです」

「あんたもつくづくお人好しだけどな」

 そりゃどうも、と俺は笑った。

「まあ、聞いてくれてありがとね。あとはあたし次第だ」

 そう言って、扇田さんは帰っていった。俺はたまたま好きな人の好きな性別に当てはまっていた。それは尊い奇跡だ。俺は何か扇田さんの力になれただろうか。

 帰り道、早咲きの桜が街灯に照らされているのを見つけた。その花弁のように、ひらりひらりと、恋に落ちる。それは逆らえないものだから。

 

「しずくっちー」

「うわっ、華さん」

 いつものように酒本邸。リビングで女の子が戯れている。

「ねえねえ、しずくっち。あたし、しずくっちのこと好きだよ」

「えへへー、私もです」

 扇田さんは恋人として。滴は友達として。この差を埋めるものって一体何だろう。

「はいはい、他人(ひと)の家でイチャつかなーい。お昼は焼きそばだよ。手洗い行ってらっしゃい」

「はーい」

「やっふーい」

 この二人がこの先どうなるのかは分からない。でも、名前の付かない関係でもいいから、仲良くしていてくれたらいいな、と俺は願った。

「ねえねえ、零くん」

 渚先輩が耳打ちする。

「華ちゃんって滴ちゃんのこと好きなのかな」

「さあ、どうなんでしょうね。女の子って大体あんな感じだと思います」

 恋じゃなくてもいい。そう言えない弱さを俺たちは持っている。それでも、幸せを願うよ。

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