オリジナル小説サイト「渇き」

恋愛小説、純文学、エッセイを扱った小説家・佐倉愛斗オリジナルサイト

nameless color『ムラサキ』

←前のページ 目次 次のページ→

 私は小学六年生の定期検査で、ある診断を下された。

「あなたは、魔法使いです」

 その言葉は私にとって可能性の始まりであり、同時に桎梏となった。

 

 四年後、高校生になった私は、保健体育の座学の授業で「魔法使い」についての話をぼんやりと聞いていた。

 ワイシャツの首元で、まるで首輪のように喉を絞めるリボンを、人差し指で引っ張る。それでも夏の忘れ物のような湿気で息苦しさを感じた。浮足立った教室の空気。ひそひそと物珍しげに語る級友。秋の埃を含んだ冷たい雨の香りが私の居心地をさらに悪くさせた。

 世界には魔法使いと呼ばれる人がいる。私たちが信じている自然科学の法則とは違った視点で世界を知覚し、動き、変化させる力を持つ者のことだ。全世界の人口のおよそ五パーセントほどだと言われていたが、近代社会における魔法士保護法の樹立や魔法使いのための特別教育の開始、そして世界各地にできた魔法使いのための国「魔法士特別自治区」の成立によって認知が進み、現在では人口の七・五パーセントほどが魔法使いだという。学校の四十人クラスに三人ほどは魔法使いなのだ。

 この知識を得たのは中学に入ってからのことだ。人権団体の働きかけによるものなのか、思想の変化によるものなのか、私には分からないが、何度も繰り返し授業で伝えられ、メディアに取り上げられた。こうして私たちの「当たり前」になっていったのだ。

 私が生まれ育ったのは日本最大の魔法士特別自治区である第一区までバスで三十分ほどの閑静な住宅街で、私は魔法使いではない両親から生まれた平凡な女の子である。名前を宮近七海(みやちかななみ)という、あの日まではとても平凡、「普通」の女の子だったのだ。

「魔法使いの血液に含まれる因子の数によって、魔法使いか一般人なのかを判別することができる」

 保健体育の男性教諭の言葉に耳を傾けた。最近、教諭は結婚したらしくて、衣服から甘ったるい柔軟剤の香りがする。洗濯物の香りがその人の家の香りだと私は思う。

「因子の数のことをMo値という。このMo値が高いほど神域――魔法を行使する際に触れる人の精神世界の内側にある世界への影響力が強くなり、結果として魔力は強くなる。そしてMo値が高い者ほど血液の色は『蒼く』なる」

 私が四年前、あの診断を下されたとき、ネットや図書館で嫌というほど調べつくした話であった。血液が蒼くなることにより肌は蒼白くなり、爪は青みを帯びるのだ。

 リボンを緩めようと首にひっかけていた指を見つめてみる。黒いマニキュアで隠された私の爪もほんの少しだけ青い。魔法使いのプライバシー保護のため、校則ではマニキュアを含む化粧は禁じられていない。しかし、お洒落をするのでもなく、きっちり爪の根元まで塗り潰していては、隠しているようで実際は魔法使いであると言っているようなものだ。いや、元の青い爪を隠すことで「魔法使いかもしれないし、違うかもしれない」と曖昧に雲隠れするだけ。隠れることはできても、私の属性――魔法使いであるというアイデンティティは変えることはできない。

 授業を聞くことにも、教室のざわめきにも飽きて、私は秋雨がしとしとと校庭の植木に恵みを注ぐ音に耳を傾けた。私が知りたいのはそんなことじゃない。唇を噛みしめるとムラサキの血の香りがした。

 授業が終わり、教諭が出ていくと、一斉にクラスメイトが大声で話し始めた。こういった授業の後の話なんて大概決まっている。

「あの子魔女っぽくない?」

「お前魔法使いだろ」

「そんな訳ないだろ、気持ち悪い」

 誰が魔法使いで、誰が普通か。そんな悪戯のように語られる魔女狩りだ。

 私は胃に圧し掛かる居心地の悪さに教室を出た。

 

 結局、私は学校を早退してしまった。学校のカビ臭いトイレで何度酸っぱい胃液を吐いても気が済まなかった。

 私は「普通」の中で生きる、と小学六年生にして選択した。

 魔法使いは中学一年生から特別教育を受ける決まりになっている。自治区内の寮に入って六年間魔法の制御や扱い方を学ぶのだ。

 しかし、私の魔力はごく微量で、魔法の力がない者となんら変わりなく生活できると診断された。

「普通の人間として生活する」という選択は間違いではなかったと確信している。周りの大人は魔法使いのことを「蒼血」と呼んで卑下し、毛嫌い、迫害していたことを知っていた。両親も私が魔法使いの血を持つことを誰にも話さなかったし、話さないように私に忠告した。誰にも見せないで、悟られないで。そう私に言って聞かせたし、私もそれが正しいと思っていた。確信というより諦念に近い。私は選ばなかったのだ。「魔法使い」として生きることを。

 私はバスに揺られて両親に内緒で通っているバイト先のカフェへ向かった。カフェといっても、魔法士特別自治区にある魔法使いが経営する小さな店だ。

 白く高い壁に囲まれた魔法士特別自治区第一区。バスで検問を通り抜けると景色が、香りが一転する。どこか懐かしいような、胸のつかえが取れてほっとするような森の香りがする。

 バスを降りると、雨は上がっていた。石畳にできた水たまりに青空が写って、道の脇にある五十センチメートルほどの幅の水路を流れる水に葉が流れてくるくると回った。風が吹けば、洗い流され透き通るような水の匂いに私は微笑んだ。

 水路にかかった石橋を渡って、「if」という看板を出している店の古びた重い木製のドアを引いた。からり、というベルの音がして、紅茶の芳しい香りが鼻をくすぐる。酔いそうなほどに濃厚なこの香りが私は好きだ。

「七海ちゃん、いらっしゃい」

 店主の有希さんがカウンター越しに迎えてくれる。昼間にも関わらず店内には他に誰も居らず、ちょっと経営が不安になる。有希さんは青みがかった癖のない髪と優しい目元が特徴の青年で、今年二十八歳になったそうだ。彼は紅茶にさまざまな魔法をかけて販売している立派な魔法士だ。

 こんにちは、とだけ挨拶をしてカウンター奥の控室に入った。鞄を置いて制服のプリーツスカートから黒いスラックスに履き替える。

「七海ちゃん、茶、淹れるからこっち来な」

 リボンを外した制服のシャツの上からエプロンを着ていると、有希さんに声をかけられた。

「いいんですか?」

 カウンターの中で有希さんが暖かい紅茶を淹れているのが見えた。このあっさりとした香りはアッサムティーだ。私は六つしかないカウンター席の一番奥に腰掛けた。有希さんが私の前にマグカップを置くと、隣に座った。

「七海ちゃん、今日は学校サボりか?」

「すみません」

「まぁいいよ。学校をサボっている奴は将来、大物になる。俺みたいにな」

 有希さんに頭を撫でられて気恥ずかしい。私が隠れてバイトを始めた中学三年生のときからずっとこうだ。

「ほら、冷める前に飲めよ? 元気になるおまじない付きだ」

 有希さんの笑顔と出されたマグカップは暖かく、私はずっと握りしめていた。

 

 夕方になるとちらほらお客さんが入るようになった。それなりに忙しく働いているのだが今日は何故かお客さんの全員が黒い服を着ているのだ。黒いマントや帽子、学生はまだ秋だというのに制服の上から黒い外套を羽織っている。窓から大通りを見ても皆、真っ黒だし、人通りも多い。

 何があるのだろう、と疑問に思っていると、丁度店のドアベルが鳴った。

 いらっしゃいませ、というと、人目を引く若草色の髪の少年が軽く私に頭を下げた。いつもこの時間や休日に来ている常連さんだ。有希さんの話では、彼はこの街の治安を守る仕事をしているという。私が住む日本でいう警察みたいな仕事を、私と同じくらいの年の少年がしていることに最初は驚いたが、どうやら彼は特別らしい。若草色の癖毛に黒いカチューシャをした彼もまた、街行く人同様に黒い膝丈の「ドレス」の上から黒いマントを身につけていた。

「今日はちゃんとドアから入ってきたか」

「そうしないと貴方怒るじゃない」

 有希さんに話しかけられた少年は、まるで妖艶な乙女のような口ぶりで答えた。

「おう、後ろにしか歩けなくなる魔法をかけてすぐに帰らせるぞ、クソガキ」

 有希さんが客前にも関わらず物騒なことを口にする。しかしいつものことなので誰も臆することなかった。

 他にも一言二言交わすと、黒いドレスを着た少年は店の奥にある中庭を抜けて有希さんの家に入っていった。

「有希さん、今日は何かあるんですか?」

「そっか、七海ちゃんは『外』だから知らないのか。今日はこの街一番のお祭り『北辰祭』だ」

 お祭り、と聞いて私は目を輝かせた。しかし同時に、魔法使いを忌み嫌う周りの大人たちの顔が頭をよぎる。

 有希さんが「北辰というのは北極星の異称で、巫女さまのことだ」と付け加える。

 この街の魔法使いを総べる空前絶後の予知魔法士のことを、街の人々は「北辰の巫女」と呼んで崇めている。千年先の未来をも見通す巫女の素性は明かされておらず、実際に存在するのかどうかも分からない。しかし魔法使いの道標になる巫女のことを魔法使いの誰もが敬愛している。王様というより教祖に近いと私は認識している。

「よかったら七海ちゃん、行ってきたら?」

「えっと、いいんですか?」

「今日は二十年ぶりに巫女さまが姿を現すんだ。だから、そのうち客はみんな巫女さまを拝みに行く。どうせ暇になるから行ってこい」

「有希さんは巫女さまを見に行かないんですか」と尋ねると有希さんは笑って「俺はいつでも会えるから」と答えた。

 

 結局、教科書などの荷物は店に置いて、有希さんに黒いマントを借りて出た。魔法使いの正装が黒いマントらしい。確かに、私たち人間は、魔法使いは黒い服に身を包んでいるイメージを昔から持っている。古い文献などを調べても魔法使いは黒い服を着ていることが多い。有希さんが言うには、黒は宇宙の色らしい。そして巫女をはじめとした占い師――予知魔法士はその中で光り輝く星なのだそうだ。

 石畳の大通りを人の流れに乗って歩く。両側に立ち並ぶ四階建てのアパートのベランダから黒地に星が散りばめられた布が吊り下げられている。星はどれも青い。蒼い五芒星をかたどった旗もある。その他に青白い電飾が街中に飾り付けられ、キラキラと街全体が輝いているようだった。

 夜店もところどころにあって、青い五芒星モチーフのネックレスやブレスレットを売る屋台、精巧な人形やオルゴールを置いた職人の店、焼きそばやたこ焼きといった私の住む地域でもよく見る屋台もあった。焦げたソースの香りが遅く来た夏祭りのようだ。若い星のように青白い街並みが幻想的で、それなのに走り回る子供たちがどこか懐かしい。アンバランスな光景に私は酔ってしまいそうだった。

 人の流れに身を任せて歩いていると、大きな広場に出た。目の前には古い洋館がどっしりと構えていて、その奥には近代的なガラス張りの高層ビルが建っている。クラシカルな管弦楽の音と人の雑踏、甘いお酒のような浮かれた香り。真っ黒な人波を照らす蒼白い電飾。

 こんなにもこの世界には魔法使いが居たのだと、私は圧倒された。幼子を抱いた母も、その幼子も、寄り添う父も。じゃれ合う若い恋人同士も、ベンチに腰掛ける老夫婦も。たくさんの、魔法使いがここにはいる。

 私は咽び泣いてしまいそうだった。私はここにいる人たちとは違う。私は選べなかった。魔法使いとして生きることを。仕方なかったのだ。私は、どちらでもないのだから。

 トランペットのファンファーレが洋館のベランダから悠々と発せられ、人々の視線が一点に集まる。ベランダの扉が開き、中から真っ白なドレスを着た少女が姿を現した。

 言わなくても分かる。彼女は、北辰の巫女だ。真っ白な肌に銀糸のような眩い髪。白いベールの奥の凛とした表情に翡翠色の瞳。花が咲く瞬間のような香りに私の肌が粟立った。

「皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます」

 透き通るようなソプラノ声が広場に響く。私の横に立っていた少女は感極まって泣き始めている。それは彼女だけではないようで、広場のあちこちから鼻をすする音が聞こえてきた。

「皆さんは、時には悩み、迷い、苦しむときもあるでしょう。そのとき、どうか私のことを思い出してください。私には皆さんを正しい方へ導くという使命があります。その任を全うするため、日々努めてまいります。これは私からあなた方へのほんの祝福です」

 巫女が手を一度合わせて両手を広げると、花火のように打ち上げられた星屑が私たちに降り注いだ。

 魔法使いたちにキラキラと降り注ぐ、祝福の光。宇宙の真ん中にいるような美しさに、そして大きな孤独に私は感嘆の声を漏らした。

 手を伸ばすとそのうちの一つが私の手の中に落ちてきた。見ると、小指の先ほどの大きさの小さな紫色の石だった。透き通ったその石は中から光り輝いているようで、仄かに甘い香りがした。

 

 ダンスパーティーが始まった広場から私は出て、カフェ「if」に戻ってきた。有希さんが言っていた通り、お客さんは誰もいない。有希さんは一人でカウンターに置かれた女性の写真を見つめていた。

 ドアベルの音で振り返った有希さんに「お帰りなさい」と声をかけられる。私はマントを脱いで有希さんに返す。

「どうだった?」

「素敵でした。でも、寂しかったです」

「そっか……巫女さまは美人だっただろ? よし、七海ちゃん、夕飯食っていけよ」

 有希さんに勧められるがままカウンター席についた。

 私は何を思ったのだろう。分からない。私は魔法使いにはならないと幼いころから思っていたのに、それでも、私は迷っている。人間の世界で、人間のふりをして、人間として暮らして、それは悪いことではない。誰かを騙しているという罪悪感もない。でも隠れて魔法使いの世界に来て、魔法使いのもとで働いて、魔法使いの世界を知って。私は諦めることができなかったのだろうか。

「有希さん、これ、貰ったんですけど何ですか?」

 先程、巫女から受け取った紫色の石を有希さんに見せる。

「あー、これ祝福の石だ。予知魔法士が予知内容を伝えるときに使う石で、呑むと魔法士が予知した未来が視得るんだ」

 私はこの先、どんな未来を歩むのだろう。人間でも魔法使いでもない私は。

 ムラサキの血の私に、この石を飲み込む勇気はまだなかった。

←前のページ 目次 次のページ→