オリジナル小説サイト「渇き」

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嘘つきは物語の始まり 第二夜 母親――――赤

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 僕は再びこの酒場に足を踏み入れた。今日は太めのチノパンに、白地に細い紺のボーダーのTシャツ、挿し色にショッキングピンクの薄手のシャツを腰に巻き付けている。まるで大学生の彼女とデートに行くような服だと僕は笑ったが、会いたい人に会うにはちょうどいいのかもしれない。

 店の中には既に多くの人が集まっていた。各々語らっているが、それが全て《嘘》なのだと僕はもう知っていた。

「あら、今日は学校の帰り?」

 アヤカさんはジントニックを片手に数年前の直木賞作品を開いていた。この店にある本の中では比較的新しいものだ。

「今日はデートをしていたんです」

 へぇ、とアヤカさんは口角をあげて、ルージュを光らせた。

「誰とのデートだったの?」

 貴女と、という言葉を飲み込んで、僕は身近な女性の顔を思い浮かべた。

「母とデートしてたんです」

「どんなお母様なのかしら」

 僕は物語を作る快楽を知ってしまった。今日も語る。嘘の母を。

 

   □

 

   「赤」

 

 私の母は「赤」を売っていました。その「赤」は薔薇のように情熱的で、夕焼けのように情緒的で、女性の体の真ん中にあるものだと母は教えてくれました。

 母は「赤」を売りに行くとき、いつも余所行きの素敵な服を着ていました。仕立ての良いワンピースを着て、私を抱きしめてこう言うのです。

「今日もいい子にして待っていてね」

 名前の知らない甘い香水の匂いが母の香りです。

 ピンヒールのパンプスを履いて、マンションの玄関先でタクシーに乗り込む。それがいつもの母でした。

 

 私は普通の子供と同じように反抗期を迎えました。

 遅くまで帰ってこない母のことが憎く思えて、私は「いい子」をやめて夜の街に繰り出しました。

 夜の街の喧噪はとても寂しかったのを覚えています。

 母はいつも高価なものを身に付けていました。あの香水はシャネルの五番。ワンピースもパンプスも百貨店のVIP向けフロアで売られているものだと知りました。

 母は私を一人で育てるのには十分なお金を持っていました。

 貧乏はしていない。けれど心は貧しく育ってしまったのかもしれません。

 

 池袋にあるクラブに足を踏み入れた私は、一人の男と知り合いました。

 彼は成人したばかりのただの大学生だと名乗りました。しかし身に付けているものは清潔な高級さを感じさせ、嫌でも「赤」を売る母を思いだしてしまいました。

 ベース音が心臓まで揺らすクラブの端、母の香りがする彼の腕の中で私は大声で泣きました。苛立ちや懐疑よりも寂しさが大きかったのかもしれません。私の泣き声は彼にしか聞こえなかったことでしょう。

 彼に連れられて、ホテルへ行きました。そこは派手な外装のよくあるラブホテルではなく、落ち着いた雰囲気のシティホテルでした。空いている部屋の中で一番広いセミスイートルームに私を彼は案内しました。

 部屋につくと彼は私の唇に触れるだけのキスをしました。

「君も『赤』を持っている。そのことを知っているかい?」

 考えたこともありませんでした。薔薇のような情熱も、夕焼けのような情緒も、あの母しか持っていないのだと、そのときの私は考えていたのです。

「知りたくないなら、もう触れない」

 私は母の「赤」に憧れていたのだと、このとき気付きました。

「知りたい」

 それが私の答えでした。

 

 彼は私にもう一度、触れるだけのキスをしました。背の高い彼は背を丸めて、私の髪に手を通して何度も唇に触れました。キスを繰り返すうちに、私の真ん中が熱くなるのを感じたのを鮮明に覚えています。彼の舌が私の口を割り、ゆっくりと丁寧に私の粘膜の形を確認していきました。熱い吐息が漏れて、苦しかったけれど真ん中が彼を求めるのです。

 彼は私の両耳の形も唇と舌の粘膜でくまなく記憶していきました。その頃には私の真ん中から熱い何かが膝まで濡らしていきました。脚に力が入らなくなると、私は彼の体に雪崩れるように抱き付きました。すると彼は私を抱えて雲の上に乗せるようにキングサイズのベッドに私を寝かせました。後にも先にも、お姫様抱っこをされたのはこのときだけです。母と同じシャネルの五番と、微かに男の苦い香りがしました。

「脱がせるよ」

 彼は低い声で呟くと、優しく私のワンピースとブラジャーを脱がせました。普通の女の子ならば恥ずかしがるのでしょうが、何故か私はそれが普通だと思えたのです。服を着ているのが不自然で、布を纏わないのが自然だと。

 彼は私の未発達の乳房に手を添えると、優しくほぐしていきました。冷たい脂肪のかたまりが彼の手によって溶かされている。私の身体はどうなってしまうのだろうかと不安から、始めて私から彼にキスをしました。

「やっぱり君の『赤』は素敵だよ」

 彼は笑うと私の胸の先を口に含むと、温めるように優しく舌で撫でました。そのとき出た声は果たして私のものだったのでしょうか。私の真ん中から出た声はリンゴのように甘美なものに思えました。

 ショーツを脱ぐと、彼も身に付けていたものを全て脱ぎました。始めて見た男性の中心はどこか愛しく思えました。そっと手を伸ばすと、私の身体のどこにもない硬さと柔らかさを兼ね備えていて、その熱さに私の真ん中が波打ったのです。

「君の瞳、とても情熱的だよ」

 私がどんな顔をしていたか、鏡のないこの部屋では分かりませんでした。ただ、とても飢えていたことだけは確かです。彼が欲しいと、そう願ったのです。

 私の性器に、彼は触れました。幾重にも重なるひだを彼の舌が伸ばしていき、とめどなく流れる液を掬い取っては塗りこんでいきました。

「痛かったらごめんね」

 そう言って彼は細い指で私の真ん中に触れました。今まで開かれたことのない肉の壁が押し広げられる痛みに私は一筋の涙を落としました。同時に、宇宙の奥を見ているような情緒に私は胸が苦しくなったのです。

 彼はペニスに何か被せると、私に覆いかぶさり、もう一度暖かいキスをしました。

「君の『赤』を少しもらうよ」

 柔らかく硬く熱いそれが私の真ん中に触れる。痛みと苦しさがあるはずなのに、私は獣のような声をあげて身体を震わせました。

「いい子だね。もう少しこうしていようか」

 彼は動かないで私を抱きしめたまま頭を撫で続けていてくれました。

「これが『赤』なのね」

「そうだよ。でももうすこし頑張ってくれる?」

 私が頷くと彼はゆっくりとペニスを出し入れしはじめました。真ん中に先が触れる度に私はリンゴのような声をあげます。自然に帰ったような心地よさを彼は与えてくれました。

 私はそれから何度か絶頂を迎えると、彼も「白」を吐き出しました。

「貴方は何者なの」

「君のお母さんと一緒さ。君のお母さんは『赤』を売り、僕は女性から『赤』を引き出す。そういう商売をしている。君からはお金は取らないよ。たくさんの『赤』をもらったからね」

 母の売っていた赤は薔薇のように情熱的で、夕暮れのように情緒的で、そして血液のように巡っているものだと私は知りました。そして私は今、母と同じように「赤」を売っています。

 

   □

 

「あら、今日は女の子なのね」

 直木賞作品をいつの間にか閉じていたアヤカさんは、意外そうに、また楽しそうに笑ってみせた。

「僕がいつ男だと言いましたか?」

 真剣な顔で言ってみたものの、僕も笑ってしまった。

 こんな楽しい世界があるなんて、知らなかった。

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