オリジナル小説サイト「渇き」

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009/物言わぬ君

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 僕の家にはうさぎがいる。「山葵さん」というブルーシルバーの毛のミニウサギだ。しかし今日は山葵さんの先代、「紅葉さん」の話をしよう。
 紅葉さんは僕が中学1年生になる少し前に家に来た。
 僕の小学生生活は明るくなかった。小学校六年生の最後は教室には行けず、保健室登校をしていた。
 友達らしい友達もいないまま、中学生になろうとしている。同じ小学校だった人が半数の中学校へ行くのか。
 そんな不安を抱えたある日、テレビでうさぎ特集を見た。ふわふわで、コミカルな動きで、静かで。可愛らしく、とても魅力的に僕の目に映っていた。そして両親に「うさぎを飼ってみたい」と提案した。急に何を言い出すかと両親は驚いたが、僕がうさぎの飼い方ハウツー本を買って読み始めると、両親は「じゃあこのお店に買いに行こう」とハウツー本に乗っていた隣町のうさぎ専門店を提案した。
 そこで飼ったのが、紅葉さんだった。
 たれ耳で、全身は栗色だけれど鼻先と耳は黒く、足の裏が白くて、きれいな目をしていた。
 僕の腕の中で震える紅葉さんのことを、きっと大事にできるたろうと思った。
 
「たれ耳のうさぎさんはおとなしくて飼いやすいですよ」と言った店員さんには少し文句をいわなくてはいけないかもしれない。
 紅葉さんの悪の所業は数しれず、破壊された家具家電、そして僕の夏休みの宿題までボロボロにした。
 走り回り、飛び回り、探検してはこちらが追いかけ回すのが日常だった。
 とんだおてんば娘だ、と呆れたが、それでも可愛らしいのでおでこをぐりぐりとなでてお仕置きしていた。
 
 うさぎは、鳴くことがない。正確にはめったに鳴かない。僕は鳴き声を聞いたことがない。
 けれど表情、仕草、走り回る動き、足の踏み鳴らし方、視線。そういったもので全力で感情をアピールしてきた。
 紅葉さんはお腹が空くとこちらを「私かわいいからご飯もらっていいでしょ?」と言わんばかりの表情で見つめ、外で遊びたいときはゲージの扉を噛んで暴れた。今思ってもなんとも激しい子だ。
 けれど、やはりうさぎには言語がない。
 中学校に入り、前の小学校での辛いことを思い出すと、僕は決まって紅葉さんのゲージの横で膝を抱えた。
 何も言っていないのに、紅葉さんは僕の横に来て座った。一緒に物思いに耽った。
「ここにいるよ」と言ってもらえたようだった。何も言わないけれど、言葉はいらなかった。
 僕にとって、一番の理解者は紅葉さんだったのかもしれない。
 
 晩年までおてんば娘を貫いた紅葉さんは、おもちゃに足を引っ掛けて骨折した際レントゲンを撮ったら腫瘍がお腹に見つかり、そのままぽっくりという人生を終えた。
 骨折していなかったら「もうすぐ死ぬんだ」という心の準備もなく亡くしていたと思うといいのやら、骨折するなよと呆れるようななのだが、最後まで僕のことを思っていてくれたと思う。
 
 僕が手を差し出すと「撫でなさいよ」と頭を差し出す、彼女のことがとても愛おしい。
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