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たかが愛のはなし 10

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 合宿を終えて地元に帰ってくるとやっぱり夏というものは殺人的で、全ての欲がたちまち炭になってしまう。食べる気にもならず、眠ることも難しく、生きることも面倒で、井澄に触れる気にもならない。
 けれど幸瑠たちは受験生で、冬には大学入試が待っている。人生の階段を強制的に昇らされる。ずっと高校生でもいいのに。変わりたくないと幸瑠は願っていた。
 合宿の日以降、圭一から毎日LINEが届くようになった。
〈おはようございます〉
〈今なにしてますか?〉
〈おやすみなさい〉
 きっと陽子ちゃんにでも聞いたのかな。男のバックにいる女の存在を妄想して勝手に嫌になる。被害妄想も熱さのせいだろう。
 無視するのもよくないので、幸瑠は適当に返信をしていた。
 しかし返信したらしたで会話が続き、気付いたら一日中スマートフォンを握りっぱなしになる。
「受験生、家でごろごろスマホ触っていていいのか?」
 大賀に突かれてソファーから起きる。
「午後から夏期講習ですーっ」
 はいはい、と大賀が退散する。
 そういえば大賀がスマートフォンに熱中しているところを見たことがない。陽子はマメに連絡すると言っていたのに。
 自室でしか触らないのかな、と簡単に結論づけた。
 圭一に〈これから夏期講習〉と送ると〈頑張ってください〉と返ってきた。

 

 駅前の進学塾は七階建てのビルで、高校三年生と浪人生でごった返している。黒髪で清潔そうな人たちは高校三年生で、どことなくだらしなく茶髪にしているのが浪人生だ。講義室の後ろの方に知ってる人影を見つける。幸瑠は迷いなく隣に腰掛けた。
「なんだ、井澄もいたんだ」
「いたんだ、って一緒に申し込んだろ」
 そうだっけ、と幸瑠は笑う。ほんの数ヶ月前のことがはるか昔のことのように感じられる。圭一に与えられる愛の言葉がこそばゆくて、メッセージの数だけ濃密な一日になる。
「お前、合宿のときなんかあったろ」
 井澄には敵わない。
「告白された」
「それだけじゃないだろ」
「あんたと付き合ってないことがバレた」
「……誰に」
「三森圭一」
 あー、と井澄が感嘆する。
 講義室に講師が来る。一旦そこで会話は終わったかのように思えた。
「付き合って、みれば?」
「えっ」
 なんでこんなに悲しいのか分からなくて幸瑠は混乱していた。

 

 講義の内容は殆ど頭に入らなかった。古典の語彙が分からないせいで余計にだ。講師が早口で講義を進めるからだとも文句を言いたい。が、落ち度は幸瑠自身にある。
 講義を終えると夕食に近所のうどん屋へと向かう。示し合わせたわけでもないがさも当然とばかりに幸瑠と井澄は一緒だった。
 そうだ、わたしたちはいつでも一緒だった。離れがたい人だ。
 うどんの乗った盆を持ってテーブル席につく。
 幸瑠はいつ切り出そうかタイミングを見計らっていた。井澄はコロッケに七味をかけてかぶりつく。見慣れたいつもの光景。
 変わってしまうのだろうか。このまま一緒じゃいられないのか。
「あんたは、いいの?」
 震えていた。
「いいって、三森のことか」
 幸瑠は頷く。
「別におれはお前のこと彼女とか恋人とか思ってないし、お前が恋をしたって言うのなら応援する。何もおかしくないだろ。お前がどうしようとお前の勝手だ」
「でもわたしはまだ分かってないよ」
 分からない。私のことも、この関係も。
「お前、迷うの初めてだろ」
「そっか、そうだね」
 恋人でもなんでもない。ただの男女一組。友達と言うには近すぎて、恋人と言うことも難しくて。この関係に名前はあるのだろうか。井澄を幸せにしたいと願っているのは事実で、それと自らの幸せを天秤にかけるようなことはしない。
「ねえ、浮気になる前に触れていい?」
 井澄が怒ったような目になる。発情しているときの男の目だ。
 幸瑠は心底安心した。わたしは求められている、と。
 食べ終わると井澄は幸瑠の手を引いた。高校生が抱き合える場所なんてたかが知れている。
 井澄の家に幸瑠は泊まった。このベッドの匂いともお別れなのだと思うと涙が溢れそうで、でも瞳に張った膜から液体が漏れ出すことはなかった。

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